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【9月12日】グラン・サッソ襲撃!ムッソリーニの劇的救出作戦



800px-Campo_Imperatore_Hotel.jpg
ムッソリーニが幽閉されたホテル「カンポ・インペラトーレ」(Wikipedia)

 本日は第二次大戦下のナチス・ドイツで行われた有名な作戦の日です。(1943年9月12日)

その名もグラン・サッソ襲撃作戦。ドイツ軍における作戦名は、「ウンターネーメン・アイヒェ(Unternehmen Eiche、日本語で「柏作戦」の意)」でムッソリーニ救出作戦
として知られています。

 1943年7月25日、イタリア王国の首相であったムッソリーニは、大評議会が首相解任の動議を可決したことにより、首相の座を追われて逮捕されてしまいます。

 これに対するナチス・ドイツの対応は素早く、翌日にはアドルフ・ヒトラーがファシズムの盟友である彼を救出するべく、ドイツ空軍のクルト・シュトゥデントにムッソリーニ救出作戦の立案及び決行を、武装親衛隊の
オットー・スコルツェニーには救出後の保護を指令します。

  ムッソリーニの身柄を拘束したバドリオ政権は、反体制派による奪還を防ぐためにムッソリーニをイタリア各地を頻繁に移動させていましたが、ドイツ側は、最終的にムッソリーニがグラン・サッソのホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉されていることを突き止めます。

1943年9月12日。作戦は決行されます。この時の作戦は、コマンド部隊をグライダーで下ろし、ホテルを急襲、身柄を確保した後、待機している別の機体でムッソリーニを脱出させるというものでした。
 
 この時使用される予定だった
フォッケ・300px-Fa223_modell.png アハゲリスFa223という航空機は、ドイツが実用化させたヘリコプターでしたが、故障のため、短距離離着陸性能に優れているFi1 56シュトルヒを代用することになります。Fieseler_Fi156.jpg

 
 作戦の実施は、まず、ドイツ軍のコマンド部隊が12機の
DFS230に分乗して降下し、うち8機が着陸に成功します。


Bundesarchiv_Bild_101I-567-1503A-02,_Gran_Sasso,_Lastensegler_DFS_230_C-1

 着陸に失敗したグライダーでは負傷者を出したものの、降下猟兵の一隊がムッソリーニの幽閉されていたホテルへ突入し、一発の銃弾も発砲することなく、幽閉されていたムッソリーニの身柄を無傷で確保します。
 すでにFi156はホテルの前に着陸しており、スコルツェニーはムッソリーニの身柄の引き渡しを受けるとFi156に乗り込み、重量オーバーながらも75m程度の滑走で無事に離陸し、グラン・サッソを脱出します。このFi156は、離陸では向かい風で50m、20mもあれば直陸できるという優れもの。


 この作戦は、困難な条件を克服して実施された要人救出の成功事例として名高いものであり、空から救出部隊を送り込む大胆不敵さと無用な死傷者を出さないスマートさは当時の世界の度肝を抜き、その劇的な経緯から戦後に小説、演劇、映画等の題材にもなりました。
Bundesarchiv_Bild_101I-567-1503C-15,_Gran_Sasso,_Mussolini_vor_Hotel
救出に成功した兵士たちとムッソリーニ(中央の黒い服を着た人物)

本作戦を基に作られたジャック・ヒギンズによる冒険小説は特に有名です。
→「鷲は舞い降りた」

 イタリア王国はこの作戦の直前の9月8日に連合国に早くも降伏してしまっていたので、ナチスはこのムッソリーニを国家元首としたイタリア社会共和国をつくらせ戦争を継続させたことからもこの作戦は非常に重要な意味を持つものとなりました。

Cap 552  なお、この時の武装親衛隊のスコルツェニーですが、ムッソリーニとともにFi156で脱出する部分をドイツ宣伝省によって誇張して大々的に宣伝されたため、連合軍において、「神出鬼没のコマンド部隊指揮官」というイメージが定着します。
 後にパンツァーファウスト作戦並びにグライフ作戦等のコマンド部隊による作戦を指揮したこともあって「ヨーロッパで最も危険な男」と呼ばれるようになりましたが、実際にはこの時のスコルツェニーを始めとする武装親衛隊は救出後のムッソリーニを保護するための随行者という立場であり、作戦を実際に仕切ったのは降下猟兵を所管するドイツ空軍でした。


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【9月8日】報復という名の兵器。V2ロケットの攻撃。



 
448px-Fusée_V2

 1944年9月8日
のこの日。第二次世界大戦下のドイツで、V2ロケットによる初の攻撃が行われました。

 このV2ロケットは、ドイツが開発した世界初の軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)で、ヨーゼフ・ゲッベルスが命名した報復兵器第2号 (Vergeltungswaffe 2) を指します。

ちなみに1号はV1で有翼飛行爆弾です。(左画像)Cap 537

 V1は速度も遅いことから多くの機が撃墜されてしまいましたが、このV2は一度発射されたらその撃墜は極めて困難であり、連合国を恐怖に陥れました。超音速で前触れもなく飛来し、既存の兵器では迎撃不可能な V2 は、ドイツにとって有用な兵器でした。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大でありました。

 唯一の手段は、発射基地を事前に叩き潰すこと。連合国は、迎撃不可能ゆえに、発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなりました。そのような意味ではドイツの敗北を早めた兵器とも言えると思います。

 ちなみに、V1 は空軍所管だったのに対し、V2は陸軍が所管でした。これは、V1 が飛行爆弾で「無人の戦闘機」とみなされたのに対して、V2はロケットで「巨大で高性能な砲弾」と考えられたことによります。

 当時のドイツはフランス沿岸やベルギーを占領していましたが、このV2の実験による射程は300kmにも達しました。そこからロンドンまで300kmも離れておらず、ロンドンはドイツ軍ミサイルの射程距離に入り、再びドイツの脅威に晒されることになったのです。

 最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊と第485砲兵大隊で、9月8日両部隊の攻撃が成功します。この日以降、3,172発ものV2がベルギーとイギリスの目標に対して発射されました。

 しかし、V2 の軍事的効果は限定的でした。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵する高コストでした。大型で発射システムも大掛かりになることから、現場ではより小型で使い勝手の良い兵器の開発を望みましたが、大型兵器による戦局打破にこだわったヒトラーに押し切られ、製造が続けられたのです。
728px-Bundesarchiv_Bild_141-1875A,_Peenemünde,_V2_auf_Abschussbahn
 しかし、このヒトラーご執心のこの兵器も、焼け石に水程度で戦局を変えるには到底及ばず、むしろ、このV2の製造のために働かせた捕虜たちの死者数が実際の攻撃による死者数をはるかに凌いでいるという皮肉な結果を生み出しています。


 V2は戦局を変えるには至りませんでしたが、その技術は第二次大戦後の米ソ両国のロケット開発、宇宙開発に大きく貢献します。


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【8月27日】世界初のターボジェット機、He178の飛行。




Ohain_USAF_He_178_page61.jpg
Heinkel He 178(Wikipedia)


 ハインケル He 178 (Heinkel He 178) は、ドイツのハインケル社 (Ernst Heinkel Flugzeugwerke) が手掛けた、世界初のターボジェット推進機です。1939年の8月27日
のこの日、初飛行に成功します。近代ジェット機の祖となる飛行機になりました。
 このハインケル社は、今上映中の宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」で主人公の堀越二郎と友人のが訪れたユンカース社のライバル会社でもありました。ユンカースもハインケルも共にナチス政権には批判的だったので冷遇されたという話もあります。

 1939年というと、日本では零戦が正式採用される前の設計段階ですから、ドイツの科学力は進んでいますね。

 実際の速度は計画値を下回る 325 kt (600 km/h) に留まり、滞空時間も10分に制限されるなど、レシプロ機に対して明確な優位性を示せず、試作2号機 (He 178 V2) に至っては推力不足で離陸もできずに終わったのですが、非ナチ党員のハインケルに対する風当りは依然冷たく、積極的な援助は得られませんでした。

 しかし、一部の技官の目にとまり開発を続けるよう促す一方、他の航空機製造会社にもターボジェットエンジンの開発を非公式に打診します。この発注仕様 109 が、後に軸流式の BMW 003、Jumo 004として具現化することになります。

 試験を終えた He 178 は He 176 と共にドイツ空軍博物館 (Luftwaffenmuseum) に展示されていましたが、1943年のベルリン大空襲で焼失します。
 同じ試作機のみだったにも関わらず大々的に対外宣伝された He 100 とは異なり、He 178 の存在はプロパガンダされなかったため、機密情報に接することのできた各国軍の上層部や一部の技術者を除き、他国に戦後まで知られることありませんでした。
 しかし、近代ジェット機の祖としてその名前は後世にまで語り伝えられることになります。






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