【7月28日】第一次世界大戦勃発!
1914年7月28日、第一次世界大戦が始まりました。
ヨーロッパ、中東、アフリカ、中国、太平洋と全世界を舞台にかつてない規模の戦争が起きます。
この1ヶ月前の6月28日。 オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻がサラエヴォにおいて、セルビア人民族主義者のガヴリロ・プリンツィプに暗殺される事件が起きます。(サラエボ事件)
当然、激怒したオーストリア=ハンガリー帝国は、懲罰的な意味合いを込めて無茶な要求をセルビアに行いますが、この事件が世界中を巻き込む大戦争になるとは、同時代の誰もが予想をしていませんでした。
今までもこのような事件は各国の仲裁などで平和を維持していたからです。たとえ、暗殺直後に戦争が始まったとしても外交で普段通り行えば、他国の仲裁ですぐに終わっていた可能性もあったのです。
しかし、数々の外交的な失敗の連鎖がかつてない大戦争を引き起こしてしまいました。特にオーストリア外交の失敗とロシア帝国の動員開始、そしてドイツの作戦計画に原因があったと言われています。
しかし、それぞれの国の事情があり、いずれはこのような大戦を引き起こすことになったのかもしれません。緊張の糸が一気にはじけ飛んだといえるのでしょうか。
当時のオーストリア=ハンガリー帝国は、ドイツと仲がよく、イタリアと共に三国同盟を結んでおり、セルビアはロシアと仲良くしていました。ロシアはというとフランスと同盟を結んでいました。
そしてこの時代は、それぞれの民族が独立して国を持つべきだという機運が高まり、オーストリアのボスニア併合のアラブ民族の不満や、セルビアの複雑な民族問題がオーストリアへの不満ともなっていました。
さて、ドイツはロシアとフランスに挟まれた形でしたので、シュリーフェン計画というものを立てます。ロシアは広大な国土を持っているので、戦争の動員に時間がかかるため、先にフランスを叩いて、その返す刀でロシアを迎え撃つという計画です。
ですのでロシアが動員開始するとドイツ軍は自動的にフランスへの攻撃を行う動きに出ることになります。その際にはフランスを包囲する作戦が最も効果的であるため、中立国のベルギーを通過しなければなりません。しかしベルギーはそれを簡単に許可する訳はなく、中立を指示するイギリスの圧力もありました。外交は外交官にまかせて純粋な理論上の侵攻プランをドイツは進めていくことになります。
さて、オーストリアはドイツの支持を取り付けていましたから、セルビアへ対し宣戦布告を行います。するとセルビア独立の支持をしていたロシアは民族的にも関係が深いため、最初は、軍事的威圧の意味も込めて、オーストリア戦線のみへの部分的動員令を下します。しかしロシア帝国軍は皇帝ニコライ2世に対して部分的動員は手遅れになる可能性があるとの意見を具申し、7月31日には総動員が下令されます。
当然ドイツは焦ります。ロシアに動員解除を要求しますが、ロシア政府は動員を解除した場合には短期間で再び戦時体制に戻すことは難しいと考えたため、要求に応じませんでした。
これでドイツはシュリーフェン計画発動ということになります。まずはフランスを急いで叩かないといけません。
しかし、外交上はそう簡単に中立国のベルギーがドイツ軍の通過を許可するはずがなく、反発します。時間が限られているドイツは、こうなったら力ずくで侵攻だということでベルギーにも宣戦布告を行います。これにイギリスが自動的に参戦。
このようにわずか一週間後の8月4日にはこのようにオーストリア、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスの五大大国があっという間に戦争に突入してしまいました。その後は参戦する国も続々と増え、戦火は世界中に飛び火します。
クリスマスには終わるだろうという楽観ムードも、銃火器などの代兵器の登場で防御側が強くなったことで塹壕戦になり長期化、飛行機や戦車などの登場、毒ガス兵器などの投入、鉄道輸送による大量動員などで一気に悲惨な様相を呈してきます。
この結果、1千万人もの戦死者を出す歴史上最大の被害をもたらします。第一次世界大戦の結果、ロシア帝国は革命が起き、社会主義国の登場をもたらし、戦争兵器の技術革新が進み、世界の様相は一変します。
ドイツは戦後補償でボロボロにされ、新たな憎しみを産みます。
この後、更に悲惨な第二次大戦までの間、世界はつかの間の平和を享受します。「平和とは戦争と戦争の間の準備期間だ。」というセリフはある意味当っているのかもしれません。
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【4月21日】英雄レッドバロンの戦死
1918年4月21日は、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン戦死の日になります。(1892年5月2日生〜1918月4月21日没 26歳)
軍オタさんには、知る人ぞ知る有名な方。深紅の機体を操り、敵味方合わせてのトップに立つ、撃墜王です。機動戦士ガンダムの赤い彗星ことシャア・アズナブルのモデルともなったお方です。
第一次世界大戦の当時のドイツ、帝政プロイセン陸軍の騎兵将校であったといいますから、当時の飛行機乗りは騎兵将校という肩書きに分類されていたんですね。
乗機を鮮紅色に塗装していたことから「レッドバロン(赤い男爵)」や「赤い悪魔」の異名で呼ばれています。
貴族出身であり、性格や気質も、騎士道精神にあふれ、共同撃墜の場合は戦友に功名を譲るなど戦友愛をもち、ストイックで責任感が強く統率力にとんでいたとのことですから、騎士道精神もあった、正に男の中の男であったといえます。
彼の乗機は、主に以下のものになります。
アルバトロス D.II
アルバトロス D.V
フォッカー Dr.I
有名なのがこのフォッカー Dr.Iですね。
彼の最後の機体にもなりました。
この当時は、飛行機なるものが登場して、まだ二十年にも満たない時期でしたが、二度の世界大戦を経て航空機は兵器としても急激に進化していきます。
この時期は大空に対するロマンがまだ残っていた時代だったのかもしれません。
こちらは、管理人が大好きな映画です。
華麗なるヒコーキ野郎
ロバートレッドフォード主演です。実在の人物が主人公とされています。
【中古】DVD 華麗なるヒコーキ野郎’75米 |
ハセガワ ミュージアムモデル 第一次世界大戦ドイツ戦闘機 |


















