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【10月16日】マリー・アントワネット断頭台の露となる。




463px-MarieAntoinette1778.jpg

 本日10月16日
はフランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントワネット(フランス語: Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche, 1755年11月2日 - 1793年10月16日)が処刑された日です。享年37歳でした。

 マリー・アントワネットはオーストリア女大公
マリア・テレジアの11女としてウィーンに生まれました。
 当時のオーストラリアはプロイセン王国の脅威にさらされており、フランスとの同盟関係を深めようと、政略結婚のためにルイ15世の息子であるルイ16世のもとへと嫁ぎます。

 幸せだったオーストリアの幼少時代と違って、フランスではルイ15世の寵姫
デュ・バリー夫人との対決、宮廷の人間関係のトラブルに巻き込まれます。

 1774年、ルイ16世の即位によりフランス王妃となるものの、民衆の貧困や食糧難など、王政に対する不満が募り、1789年ついにフランス革命が勃発します。


「パンがなければお菓子を食べれば良い」の真意

 貧しい暮らしに耐えている民衆を見て「パンがなければお菓子を食べればいいのに」という発言が有名ですね。

 マリー・アントワネットら貴族たちが、いかに庶民の困窮に無頓着で贅沢な暮らしをしていたかを強調して批判するためによく引き合いに出される話ですが、実際にはこういう発言をした事実はなく、そして、お菓子=贅沢品という訳でもなかったようです。



ギロチンとマリー・アントワネット

 革命裁判は夫ルイ16世に死刑判決を下し、ギロチンでの斬首刑としました。そして、マリー・アントワネットもはじめから結果が決まっている裁判にかけられます。

Marie_Antoinette_Execution1_20131014165059630.jpg

 
多数の反革命を処刑するための、最初の生贄としてアントワネットを欲していたのです。
この時に発明されたばかりのギロチンが使われますが、詳しい下りはこちらの記事もご参照ください。


→【6月17日】ギロチンと処刑人。それにまつわる怖い話



 マリー・アントワネットは、こうして断頭台の露として消えていきましたが、彼女のその後、マリー・アントワネットの名誉回復には、結局死後30年以上を要しました。
 現在では、後述の「パンがなければ」の発言をはじめとする彼女に対する悪評は、その殆どが中傷やデマだということが判明しています。
 彼女個人や王権そのものへの反対者たちによって、それらの失態が多大に誇張されて彼女や王権に対する悪意と憎悪がことさら生み出されます。


→マリー・アントワネットのエピソード



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【9月25日】士魂商才の男、五代友厚と大阪経済



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 本日は明治維新の立役者の一人、五代友厚の命日です(ごだい ともあつ、1836年2月12日〜1885年9月25日)。

 勇敢な薩摩藩士の武士でありながら実業家となり、当時瓦解寸前だった商工会議所などをつくったりして大阪経済の立て直しを行いました。通称「大阪の恩人」とも言われており、大阪証券取引所には彼の銅像があります。
 29歳の時、藩の命令で欧州留学を経験したことがあり、外国事情に明るく、30歳の頃には、薩摩藩の商事を一気に握る会計係に就任します。その後、戊辰戦争が勃発し、五代は西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍することで、功績をつくり、明治元年(1868年)に明治新政府の外国事務局判事となり大阪に在勤となります。

 五代が着任した大阪では、日本人の無知につけこんだ外国商人の不正行為が後を絶たなかったといいます。
 条約違反、購入料金の不払い、雇い人への賃金不払い等は日常茶飯事で、領事館の家賃不払いまでもが平気で行われていたとのこと。
 経営に才覚がありながら元来、薩摩武士ですので、不正行為は許せない性格。断固たる態度で臨み、一切の妥協を拒みました。

また、商売人にとって「信用」は最も大切であり、不正を容認することは信用を失い、不正を糾弾することでその信用を勝ち取ろうとする五代の信念もありました。
 五代は商人である前に「正義」「大儀」を重んじる一人の武士であり、不正を見逃すことも国益を損なうことも出来ない性分だったのですね。

 五代が50才の若さで亡くなった時、街のおかみさん連中までが、「五代はんは大阪の恩人や」と語りついで、その死を悼んだと言われております。
 ちなみにこの五代友厚ですが、多くの明治維新の人たちの写真や肖像画があるなか、この方の写真は3本の指にはいるイケメンぶりだそうで。確かにエリートビジネスマン系の顔ですよね。
 ちなみに上位独占しているのは、木戸孝允、土方歳三たち。昔の人たちの顔は現代人と比べると目力がありますね。真剣に生きてきた証でもあるのでしょう。




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【9月23日】藤子・F・不二雄とドラえもん



Cap 574


 本日は、「ドラえもん」で有名な作者、「藤子不二雄」藤本弘の一人、「藤子・F・不二雄」氏の命日です。(本名、藤本弘 1933年12月1日 - 1996年9月23日
)、享年62歳でした。

 「藤子不二雄」はユニット名で、1951年にコンビを結成。1987年の解散までこの共有ペンネームを使用していました。本名は藤本弘(のちのペンネーム 藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(同 藤子不二雄Ⓐ)で、代表作は『オバケのQ太郎』(共作)、『ドラえもん』(藤本)、『パーマン』(藤本)、『忍者ハットリくん』(安孫子)、『怪物くん』(安孫子)など多数にのぼります。
 
コンビを解消した後は「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄Ⓐ」の名前でそれぞれ活躍することになりますが、藤子不二雄Ⓐの代表作、『
魔太郎が来る!!』、『笑ゥせぇるすまん』など大人向けで少しブラックユーモアのスパイスが効いている作品に対し、 藤子・F・不二雄の作品は、『パーマン』、『21エモン』、『ドラえもん』、『キテレツ大百科』など、子供向け作品がメインなものが多いです。
 その手腕のあざやかさは、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」(呉智英『現代マンガの全体像』双葉社より)と評されるように極めて高い評価を得ております。

 コンビを解消してからも、それぞれが持ち味を活かし活躍をしていましたが、それだけに早めの他界が残念です。
 藤子不二雄Ⓐ氏は藤子・F・不二雄氏の分まで長生きして頑張っていただきたいと思います。







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