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【6月25日】朝鮮戦争の悲劇



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 本日は朝鮮戦争が勃発した日です(朝鮮戦争1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)。

 朝鮮半島の主権を巡り、北朝鮮が国境を越えて侵攻したことによって勃発した戦争です。当事国ばかりでなく米ソを中心とした諸外国が交戦勢力として参戦し、朝鮮半島全土が戦場となって荒廃しました。
韓国
 第二次世界大戦で日本は、連合国に降伏しましたが、日本による統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられた解放」でありました。朝鮮全土にわたって独立建国に向かう民意の糾合が醸成されていなかったのです。本当に日本から独立したかったのなら時間はたっぷりあったと思うのですが。

 その後は朝鮮半島の歴史通り、独立諸派同士の内部抗争で全然まとまりません。朝鮮半島は高麗、百済、任那時代からの敵対関係の時代もあり、内部抗争が絶えない歴史があります。
 数年間にわたり激しく対立し続けたことは南北分断に少なからず影響しました。朝鮮人自身の連帯・協力ができず、不毛な激論を続けるという権力闘争に終始した挙句、親ソ派と親米派に分裂し、それぞれが勝手に大韓民国朝鮮民主主義人民共和国を建国してしまったところにその後の朝鮮の悲劇を招いてしますます。
 冷戦構造の米ソの意向もあったとはいえ、最終的には朝鮮人同士が連帯できずに招いた結果です。日本のせいではありませんよ。
 しかもどさくさに紛れて反日家であった李承晩は、ポツダム宣言で日本が放棄したとする日本領土を含むいくつかの領土について、返還要求を主張し始め「対馬」を掠め取ろうとします。こんな事をしているから統一できなかったのではないでしょうか。呆れてしまいます。
 折角自主独立の絶好機にありながら、分断国家を造り上げた一番の張本人は韓国朝鮮人自身でしょう。同じような事例でもドイツはソ連の崩壊過程の中で統一に成功していますし、ベトナムも他国からの介入を排除し統一を成し遂げています。日本も明治維新の際には他国の介入にはかなり神経を使っています。

 さて、朝鮮戦争ですが、戦争が勃発した主因は、
金日成の朝鮮半島の統一という野望がありました。話し合いで統一できなかったので、軍事的に統一しようとし、またそのチャンスが到来した時を逃がしませんでした。
 そう考えた背景としては、2年前に済州島で起きた、共産系勢力の武装蜂起事件があります(
済州島四・三事件)。当時の国際情勢は共産主義の勢いがかなりあり、韓国側が一番恐れたのは、そういう民衆の蜂起だったようです。実際、蜂起を扇動するために、北朝鮮の工作員が大量に浸透していたということもあり、同じ民族同士で粛清しあうという悲劇があちこちで起きました。

 南北両国とも統一の意志は依然として固いことは間違いないことです。しかし、両国とも依然として単独では軍事的に制圧できる力がないことも事実です。現在も両国間に平和条約は結ばれておらず、緊張状態は解消されていません。今後どうするのでしょうか。事大主義の歴史通り、大国に援助してもらい、また世界を紛争に巻き込むのでしょうか。



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【6月23日】沖縄慰霊の日



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6月23日
沖縄「慰霊の日」
です。米軍が沖縄に上陸してから、三ヶ月に渡る激闘で、大勢の一般市民が亡くなりました。

→沖縄戦

 米軍の目的は日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保にありましたから、現地の日本軍としては、本土決戦への時間稼ぎ、持久戦を目的としていました。

 米軍の作戦最高指揮官が戦死するなど、太平洋戦域における最激戦地のひとつとなりましたが、戦死者20万人のうち半数は民間人であったとされます。

 この沖縄戦は「国内唯一の地上戦」と言われています。しかし、内地である千島列島における「占守島の戦い」や「樺太の戦い」、そして当時は日本の委任統治下だった「南洋諸島におけるサイパンの戦い」なども発生していることから、必ずしも正確な表現ではないようですね。沖縄戦は「現在の日本の領土内で民間人を巻き込んだ唯一の地上戦」と言えそうです。

 戦争の悲惨さはもちろんのこと、現在も多くの不発弾や、米軍基地の負担など沖縄の人々にとっては今も戦争の影響を強く受けている土地です。
 戦争被害者の方々の体験は語り継がれなければいけません。しかし、現在の政治的な意図で、情報を操作するのは戦死者に対する冒涜につながりますので、これは止めていただきたいと思います。

 とくに
民間人への集団自決問題など、かなり政治的なバイアスがかかっている感じがします。現地へ行かずに証言だけで、自決命令があったと断言した大江健三郎の『沖縄ノート』と、現地で取材をしてきた、曽野綾子の『ある神話の背景』などを読み比べると真実がみえてくると思います。

 日本の兵隊が米軍より酷かったとかのエピソードをことさらに強調した話も散見されますが、
そうなのでしょうか。


 また自分たちが裏切られたとか、犠牲になったということをよく言いますが、沖縄の人々を守ろうとして、特攻に向かった2500名あまりの特攻隊員や大和はじめ多くの艦船の兵隊さんたちのことも忘れないで欲しいと思います。みんな沖縄を守ろうと必死だったという本土の思いも知って欲しいですね。遺族への

冒涜につながるような行為は止めてほしいものです。

 戦争の悲惨な体験をされた方のお話は大変貴重ですが、それが政治的な意図のもとに利用されるのは管理人的には嫌なのです。
 一方的に「だから戦争はダメなん だ」「悪なんだ」とされ、日本を色々な規制で縛ると、その裏でほくそ笑む国だってあるのだということも忘れてはいけないのではないでしょうか。
 そういう「戦争絶対悪」というイデオロギーが次の戦争の要因になることは第一次世界大戦後の欧州からもうかがい知ることができます。
 「平和教育」とか「非戦の誓い」も言葉は良いかもしれませんが、それがどういう団体が主催しているのかは知る必要があります。特定のイデオロギーで利用するのもされるのも嫌なものです。

 戦争の悲惨さを感じるのは現地へ行って自分の肌で感じるのが一番かもしれません。それで、戦争は悪だ、戦争を想起させる米軍基地を追い出すことが大切だと感じるのもよし(その後どうなるのかは知りません)、リアルに国防への思いを強く感じるのもよしだと思います。
 大事なのは政府への他人任せではなく、自分たちも日本国民であり、未来への責任の当事者であるということだと思います。個人的には米軍まかせではなく、自衛隊が諸外国と同様に負担をかけて防衛するべきだと思います。


 沖縄の戦争慰霊碑などのある場所です。戦争で亡くなった民間人の方々、勇敢に戦った日米両兵士の方々に合掌。

沖縄戦の跡地は、最大の激戦地であった読谷村から那覇市。そして一般民を巻き込んだ南風原町〜糸満市とあります。


ひめゆりの塔 糸満市伊原

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喜屋武岬。米軍に追いつめられた住民や兵士は、ここで行き場を失い、
この断崖から次々と身を投げました。


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こんなところまでストリートビューが!
旧海軍司令部壕 沖縄県豊見城市字豊見城236


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管理人的には観光や、平和教育の解説のバイアスが
かかっていないこういう場所の方が好きです。


→ガイドブックに載らない史跡



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【6月6日】史上最大の作戦!ノルマンディ上陸作戦



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本日は、第二次世界大戦で有名な「史上最大の作戦」といわれた、ノルマンディー上陸作戦が行われた日です(1944年6月6日〜26日)。正式名称は「オーバーロード作戦」。本作戦で用いられた「D-デイ」は作戦決行日を表してます。ドイツ軍に対する本格的な反撃ののろしを上げた作戦でもあります。

 この日をさかのぼること4年前。破竹の勢いのドイツ軍により、連合軍はヨーロッパ大陸から追い出されます。全滅を阻止するため、当時の英国の
チャーチル首相は、連合軍兵士を英国本土へ撤収させるために、ダンケルク撤退作戦(ダイナモ作戦)を行います。この作戦が行われたのが1940年5月27日から6月4日。35万人もの兵士が、重い戦車や重火器を捨て英国本土へ脱出します。この撤退作戦は英国国民の意識を一致団結させ、多いに士気を高めることになります。

 マッカーサー元帥の有名な " I shall return (私は必ず戻ってくる) " の言葉ではありませんが、奇しくもちょうど4年後にかつて追い出された連合軍兵士たちは米軍と共にフランスに戻ってきたのです。

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 この史上最大の上陸作戦ですが、どこに上陸するかが両軍の最も重要なことになります。ドイツ軍としてはそこに兵力を集中させ、上陸前の水際で殲滅をさせたいですし、連合軍としては速やかに上陸し、兵力を展開したいところです。
 そこで、様々な欺瞞作戦が連合軍によって行われます。この欺瞞作戦のうち、有名なのが、
フォーティテュード作戦で上陸の目的地がノルマンディではなく、カレーという地であるとドイツ軍に信じ込ませることを狙って実施されました(フォーティテュード・サウス)。この欺瞞作戦は、スパイを使ったり、偽の爆撃や通信、様々な偽情報をドイツ軍に与えます。

 このフォーティテュード・サウスの最も重要だったのはクイックシルバー作戦と呼ばれており、北アフリカ戦線で活躍した
パットン将軍
を担ぎ出し、彼に実在しない大がかりな軍隊を与え、カレーへの上陸準備を進めていると思わせることでした。(ちょうどパットン将軍は「兵士殴打事件」で謹慎中だったので都合もよかったみたいです。)
 更には、現実味を持たせるために周辺の地域には多くの偽の建物が建設され、ダミーの自動車と上陸用舟艇が積み込み、地点になりそうな場所の周辺に置かれ、その兵力の大きさ に見合った莫大な量の偽の無線交信が交わされるなどの念の入りようです。

 これにより、ヒトラーは完全にカレー上陸と信じ込み、作戦の指示を与えますが、現地の
ロンメル将軍たちはそれでもノルマンディが怪しいと思っていました。やはり現場の兵士の勘は馬鹿になりませんね。このロンメル将軍も上陸当日は、妻の誕生日を祝うためにベルリンに居るという失態を犯します。この欺瞞作戦は最も成功した作戦の一つと言われ、ノルマンディで実際に上陸作戦が始まってからも陽動作戦ではないかと疑っていたと言います。

 作戦は思わぬ抵抗にあい、多大な犠牲と苦戦を各地で強いられます。当初の40日間の目標であった、カーン及びシェルブールの占領をどちらも達成できませんでした。
 いくつかの上陸地点では、兵士たちの運・不運が分かれました。最悪な運命だったのは、
オマハ・ビーチで、ここでは他の海岸に比べ特殊装甲車両の装備が少なく、さらにオマハに割り当てられた水陸両用戦車27両の多くは高潮の影響で次々と浸水し、海岸に到着する前にほとんどが失われました。彼らを待ち受けていたのは、東部戦線の生き残り、激戦の戦闘経験を持つドイツ歩兵師団でした。

 それでも20日間の間に最終的には300万人もの兵士を送り込むことに成功し、史上最大の作戦は終了し、ドイツ侵攻作戦へと移ります。8月25日にはパリを解放、その後、着実にベルリンへと兵を進めていきます。ドイツが崩壊するまでには、後1年近い戦いを要することになります。

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