【5月11日】ノモンハン勃発!
渡河作戦行動中の日本兵(ウィキペディア)
1939年5月11日(昭和14年)の今日、ノモンハン事件が勃発しました。
この事件は、大東亜戦争の開戦に先立つ2年前の満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争事件で日本軍が敗れた事件として記録されています。
戦車などの機械化部隊に対して陸戦装備の貧弱な日本軍が2万人近い犠牲者を出した・・・。日本軍がコテンパンにやられた事件として管理人は教えられた記憶がありますが、実態はそうではなかったのではないかという議論が近年起きています。
それはソ連側から新しい資料が出てきており、それによると
日本軍 死傷者 約19,000人
重砲 全門喪失
戦車 約30両
航空機 約180機
ソ連軍 死傷者 約24,000人
戦車・装甲車 約400両
航空機 約350機
とソ連の方が圧倒的に損害を受けています。
とはいうものの最終的に10倍近い兵力を備えたソ連の損失と物資で弱い貴重な戦力を失った日本軍ですから、数字だけでは分からないものがありますが。
航空戦においては最新鋭の九七式戦闘機がソ連のI-15、I-16を圧倒的に蹴散らし圧倒的優位でしたが、貴重なパイロットも損失し多くの教訓も残しています。
管理人的には、太平洋戦争下の日本軍のように、兵力、武器、補給の面で圧倒的優位に立っていたソ連軍に対して、ねばり強く勇敢に戦った、勝ってはいなくてもソ連軍の圧倒的・一方的勝利であったとは断定できないと思います。
また、ノモンハン事件自体の本来の戦争目的からすると、互いの主張する国境線を巡って戦われた戦争で、日本軍は日本側の主張する国境線から、南部地域を除いてソ連側の主張する国境線まで押し出されて停戦したのであるから、戦争目的を達成したソ連が、達成できなかった日本に勝利したと見るのが妥当なところなのでしょうか。
事件後、関東軍首脳が更迭されていることからも日本軍自身も敗北だと考えていたのは間違いないと思います。
日本軍は、戦術的には勝利するものの戦略的には敗北したとみるのが妥当なところかもしれません。
しかし、もっと大きな視点で、ノモンハン事件の背景まで考えると、モンゴル人を大量に粛正して、満州を攻め取ろうと画策していた30万人のソ連軍をわずか3万人の日本軍でその時点でくい止めたのですから、ソ連の宿願である南下政策自体をこの事件をきっかけに完全に止めたのではないかと思います。
それは、太平洋戦争の終戦直前に参戦したソ連が、すでに装備も武器もほとんどないボロボロの関東軍の攻略のために、120万もの大軍を動員して派遣していることからみても、スターリンが、どれだけ日本軍に対し警戒していたのがが分かると思います。
現場から遠く離れた官僚たちの問題はさておき、勇敢に戦った最前線の兵士たち、私たちのご先祖たちに感謝したいと思います。
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