【1月31日】「愛妻家の日」に愛を叫ぶ?!なんだこれ?
英語のI(アイ)と31(サイ)にかけ毎年1月31日を「愛妻家の日」としようと、「日本愛妻家協会」なる団体が提案しました。
この協会によると
「妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない。という甘い理想のもと、日本独自の伝統文化かもしれない愛妻家というライフスタイルを世界に広めていこうという文化活動です。」とのこと。
日本愛妻家協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だそうで。この方は世界で初めて愛妻家宣言をした人物で日本書記によると1900年前に弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いた日本武尊は、大きな声で人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされています。
その場所は群馬県の吾妻郡嬬恋村(つまごいむら)。「わがつま、こいし」という名前がそのまま地名になったとのこと。
協会はここを総本部として聖地しているそうです。なるほど、歴史を出されると関心してしまいますね。
で、実際に何をやるのかというと・・・・。
・その日の午後8時日本中の300万人の夫が食卓につき妻に感謝とねぎらいの言葉をかける
・日比谷公園のど真ん中で妻に愛を叫ぶ
・夫婦の足あとが描かれた「ハグマット新聞」なるものに足を乗っけてハグしあう
・1月31日8月9分(ハグだから?)に全国一斉にハグしあう
って出来るか〜!!ヾ(。`Д´。)ノ彡
そもそも日本武尊って、妻が死んだから叫んだんでしょうが!
そりゃ、泣くよ。長年連れ添ってきたばあさんに感謝の一言も言わなかったじいさんが、その棺の前で一目はばからずにわんわん泣いているシーンも見ましたよ。
生きている間に愛しているよ〜なんて真似、恥ずかしくてできるかい!って話ですよ。
普段そんあなことを言わない夫が急にやりだしたら「はぁ?あなた頭大丈夫?」とか
「( ´Д`)キモッ」とか「逆に怪しいことしてんじゃないの??」って疑われるんじゃないでしょうか?
大勢の前で「●●子、愛しているよ〜!!」って叫ぶのってどうなの?うれしいの?
「自分はこんなに妻を愛しているんだ〜!!」って自己満足に浸っているだけじゃないの?
うーん、わざわざ宣言する必要ってあるのかな?これって男の自己満足のような気がします。
それに穿った見方をすれば、「愛妻家」宣言をするなんて、それをしない男は「愛妻家」ではないと線引されているようにも感じます。
それとも夫婦そろって「私たちこんなラブラブですぅ♡」ってみんなに認めてもらいたいのか?
でも、夫婦仲が冷え込んでいる夫や妻やその子供から見たら「コンチクショウ」ってひがまれるだけじゃないの?
これ、仲の悪い夫婦たちから見たらどうなんでしょう?聞いてみたい気もします。
そもそも、世間に「愛妻家」宣言される妻って嬉しいんでしょうかね。だとしたらご近所に自慢できるとか?
夫婦ですから時には夫婦喧嘩だってします。そんな時に「愛妻家宣言」した家って、表面上は仲の良い夫婦を演じてみせるだけしょうか?喧嘩しづらくなりませんか?本音で言えなくなりませんか?
いや、「愛妻家」という言葉自体もよくよく考えたら変じゃないでしょうか?
妻を愛するのに●●家って何でしょうか?愛犬家とか、愛鳥家とか、なんか飼い主主体というか、男主体というか、妻たる立場を顧みてないように思うのですが?
謎だらけです。
とまあ、興奮気味になりましたが、
こんなイベント的に行うのって、なんか白々しいというのか、わざとらしいというのか、作為的というのか。
さらには、賛同しているのが、あの「朝日新聞社」というものなんか進歩的文化人を気取っているみたいで嫌なのですが・・・・・。
奥さんの立場からすれば、普段から何も言われず、「あぁ」とか返事もそっけなくて、食事もうまいんだか、まずいんだか、文句あるのか、満足しているのか、表情からは全然分からない夫に対して、ちょっと不満が出始めた頃に、ボソッと「いつもありがう」とか「すまないね」とそっと言われる一言が嬉しいんじゃないかなって思うのですが・・・。
「ああ、この人は見てないようで、実はちゃんと私のこと見てくれているんだな」って。
そんな繰り返しの日常の中で夫婦の仲って深まっていくと思うのです。
ですので、こんなイベントを楽しくやるのも結構ですが(良いきっかけになるかもしれませんし)、やるならもう少し内面の部分を掘り下げたり、夫婦リサーチしたりして現在の夫婦の現状を把握した上で、愛妻家を増やす仕事をしてほしいと思います。
そして普段見逃している「奥さんの不満のサインの見つけ方」とか「最近、感謝の気持ちをちゃんと言葉に出したか」とか「奥さんが実は嫌がっているかもしれない夫の癖、言動」とかのアンケート結果とか、「奥さんの不満そのものを解消してあげること」に企画や記事など力を注いで欲しいと思います。
「愛妻の日」は普段頑張っている奥さんに対し、「家事や子供の教育は妻がやるのが当たり前」としらずに思っていなかったか?ちゃんと毎日の感謝の思いと言動が出ているのか?ということを、夫一人一人が、それぞれ胸に手を当てて振り返る日にしたいですね。少なくても私はイベントには乗らずにそうします。
本当に必要なのは「愛妻家」宣言ではなく、潜在的な「妻を愛している夫」を増やしていくことからではないでしょうか。心の中から「自分は妻をちゃんと愛する夫になろう」と思えるようになれば、自然に「ありがとう」という言葉が出てくると思うし、「愛しているよ」という言葉では言わなくても態度で通じてくれるものだと思うのです。
記念日に勇気をださなきゃお礼がいえないなんて奥様も嬉しくないと思います。
病気や亡くなられて、初めてその有り難さに気づくなんて愚かな真似にはならないようにしましょう。
→ヤフー知恵袋 「愛妻家」が日本独自の文化であることがよくわかります。
「愛妻家」という言葉はあるのに、「愛夫家」という言葉はないですよね。 なぜでしょうか?
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【1月30日】ガンジーと非暴力主義
本日1月30日は、インドの偉大な宗教家、マハトマ・ガンジーが亡くなった日です。
本名、モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(Mohandas Karamchand Gandhi、1869年10月2日 - 1948年1月30日)インドのグジャラート出身で弁護士もあり、宗教家、政治指導者として活躍しました。
インド独立の父と呼ばれ、その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」を提唱しました。よく誤解されていることは、ガンジーは決して「無抵抗主義」ではなかったことです。
不服従とは、具体的には、イギリス製品の綿製品を使わない、塩税に反対する抗議運動を大々的に行うなど、暴力で運動を止めさせようとする兵士に対して、反撃も逃げもしないという忍耐と勇気が必要でした。
こうした一連の抗議運動のためにガンジーはたびたび投獄されます。
こうしたなか、第二次世界大戦が始まり、イギリスは連合国として勝利したものの国力は疲弊し、イギリス統治も難しくなってきます。
そして、独立運動のために日本軍と一緒に戦ったチャンドラ・ボースやラース・ビハーリー・ボース、A.M.ナイルらインド人将官が、イギリス植民地政府により「反逆罪」として裁判にかけられることとなるのですが、この時にガンジーは「インドのために戦った彼らを救わなければならない」とインドの国民へ独立運動の号令を発しました。
この運動をきっかけに再びインド全体へ独立運動は広がり、これに耐えることができなくなったイギリスはインドの独立を受け入れ、1947年8月15日、インド連邦が成立します。
なお、ガンディーの「ヒンズーとイスラームが融合したインド」との思い通りにはいかず、最終的にイスラーム教国家のパキスタン分離独立となったのは後の悲劇の始まりでもありました。
ガンディーはヒンドゥー教徒だけでなくイスラーム教徒にも融和の手を差し伸べていましたが、ヒンドゥー教の原理主義者たちからはムスリムに対して譲歩しすぎるとして敵対視されることになり、最後は彼らの手によって暗殺されることになります。1948年1月30日のことでした。
3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンディーは自らの額に手を当てます。これはイスラーム教で「あなたを許す」という意味の動作でした。最後の言葉は「おお、神よ・・・。」
ガンジーの葬式は国葬になり、その遺灰は、ヤムナー川とガンジス川と南アフリカの海に撒かれました。
ガンジーの非暴力主義は、現代日本の護憲運動者や非戦運動者たちの間でもよく取り上げられます。
武力に対して武力で対抗するからこそ、悲惨な戦争を生み出すのだと。
しかし、そこに立ち向かう勇気はあるのでしょうか。非戦の勇気とは決して暴力は行わないが「無抵抗主義」ではないはずです。
ガンジーの言葉にはこのようにも書かれています。
「わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、辱めに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。」と。
ガンジーでさえ、征服され、服従される辱めを受けるよりは武器をとれといっているのです。何が何でも暴力や戦争がいけないとは言っていないのですね。
あえて言えば「戦争を決意できる勇気がある人こそが戦争をくいとめることができる」と思うのです。今の日本の戦争反対を叫んでいる方々を見ると、日本が嫌いで、いざとなったら逃げ出してしまうのではないかと怪しんでおります。
主義主張は最もですが、そこに本物の覚悟が見えてこないのです。
売国奴と言われたら名誉毀損だと騒ぐ政治家などは愚の骨頂でしょう。国を守る覚悟があるとは思えません。自分の名誉しか考えていないのではないでしょうか?
ガンジーのように敵や味方からも尊敬されるのはやはり覚悟と信念をもった人でありましょう。
また、ガンジーはこのようにも言っています。
「しかし、わたしは非暴力は暴力よりも優れており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。」
形だけ非暴力を真似ても、そこに本物の覚悟がなければ、ただの見識の無い人間か、卑屈な人間と見下され、攻めようとしている国からも尊敬はされないでしょうね。
【1月29日】本多静六と「四分の一天引き法」
本日1月29日は、本多静六博士の命日です(本多静六 ほんだせいろく1866年8月11日誕〜1952年1月29日没)
日本の林学博士、造園家として多大な功績を残し、日本の「公園の父」といわれています。明治神宮の森を設計したことで有名ですが、日本全国の手がけた主な公園、風景策の数は75にも及びます。
なかでも”首かけイチョウ”と呼ばれるイチョウの木があるのですが、道路拡張のために、移植不可能と言われたイチョウの木を伐採の危機から守るべく「私の首に賭けても移植を」と懇願し、日比谷公園に移植、成功させました。推定樹齢は400年で公園で最も古いイチョウとしても知られています。
このように本業の林学、造園でも功績を残されていますが、それ以外に処世術といいますか、勤倹貯蓄の方法でも知られてます。
これは幼少時に父親を亡くして経済的に苦労した経験とドイツ留学でのルヨ・ブレンターノ教授の教えから、来ているのですが、有名なものに「四分の一天引き法」というものがあります。元は仏教の教えで、釈尊が在家の人の事業の繁栄、成功の教えとして「将来のために四分の一ぐらいを蓄えよ。」という教えを自らが実践し、実際に莫大な富を築きました。
この方の偉大なところは、その巨額の富を退官を機に匿名でほぼすべてを教育、公共の関係機関に寄付したことでも知られています。こんな無欲の方が当時はいたんですね。日本が発展した訳です。
また、日々1ページ原稿を書くことを常としたため、370冊を超える著作も残されています。
【実際の貯蓄法】
その実際の勤倹貯蓄の方法ですが、手取り月収が40万なら、1/4の10万円を天引きして貯金をします。30万で生活をするわけですね。さらに臨時収入があった場合は全て貯金してしまいます。
うーん、実際は無理!という方も多いと思いますが、貯金は「貯めようと思わないと絶対に貯まらない」ですから、まずは貯めようと決意することからスタートです。
毎月10万円を貯めると3カ月で30万円、つまり1ヶ月分の生活費ができあがります。これを1年間続ければ、4か月分の生活費を貯めることができます。30年間で10 年分の生活費ができあがることになりますね。
本多博士はこの富を分散投資して、更に貯金額を増やしていきました。
自然に生活していくと、自分の収入に応じた生活スタイルになりますが、40万の生活スタイルを改めて30万なりの生活スタイルに切り替えていくということなのでしょうかね。
やってみたい気もしますが、困った時に手を出さない方法も欲しいところです(笑)。
→本多静六博士顕彰事業(埼玉県久喜市HP)
→〜日本の公園の父〜本多静六博士(旧菖蒲町HP)
【1月28日】石ノ森章太郎の命日によせて
本日1月28日は、漫画家「石ノ森章太郎」の命日です。(本名 小野寺 章太郎1938年1月25日 - 1998年1月28日)享年60歳の若さでした。
子供時代にマンガやテレビを見ていた世代には、石ノ森章太郎(いしのものり しょうたろう)より石森章太郎(いしもり しょうたろう)の名前の方が知られていると思います。なんといっても「サイボーグ009」、「仮面ライダー」などのヒーロー物は当時は大ブームで、コミックでもテレビでも夢中になって見た記憶があります。
中高年にとっては、石森章太郎の名は手塚治虫、藤子不二雄、永井豪、赤塚不二夫などの名と共にワクワクさせてくれる作家でありました。
その石ノ森章太郎も、藤子不二雄、つのだじろう、赤塚不二夫などの名だたる漫画家たちが住んでいたトキワ荘の住民の一人でした。このトキワ荘、偶然に漫画家たちが住み始めたわけではなく、手塚治虫のために当時の学童社が入居させたことを皮切りに自社の雑誌で連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた経緯があります。同じ場所に住むことによって、切磋琢磨し合い、またはアシスタントで助け合うこともできるので、良いですよね。今はこういうやり方はしないのでしょうか。
このトキワ荘時代のエピソードは他の漫画家さんに描かれたり、書籍になったりで、色んな角度から楽しめることができます。
さて石森章太郎氏の作品はざっと上げただけでも、
イナズマン、仮面ライダーシリーズ、がんばれ!!ロボコン、ギルガメッシュ、原始少年リュウ、現代経済入門、幻魔大戦(原作は平井和正との共同)、サイボーグ009、佐武と市捕物控、猿飛佐助、人造人間キカイダー、スカルマン、 秘密戦隊ゴレンジャー、平賀源内、 解国新書、変身忍者嵐、 星の子チョビン、HOTEL、マンガ日本経済入門、マンガ日本の歴史、ミュータントサブ、ロボット刑事
などあります。それほど詳しくない管理人も上記の作品は、中身はともかく聞いたことのあるものばかりです。
没後の2007年末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』(角川書店)が発売されました。一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されています。
今後このような、数多くのヒット作品を生み出す作家さんはもう現れないかもしれませんね。
何より、「北斗の拳」や「ドラゴンボール」など、ヒット作品は延命させようとする編集方針はいささか嫌に感じています。
→Amazon「石ノ森章太郎」の作品
「石ノ森章太郎萬画大全集」は全部で12期あるそうで凄い分量と値段です。
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【1月27日】直木賞作家景山民夫氏の命日に寄せて
1998年1月27日の深夜のことです。直木賞作家というよりも、当時は「幸福の科学」という宗教団体の信者として知られていた景山民夫氏が、東京・世田谷にある自宅の出火が原因で事故死されました。死因は一酸化炭素中毒。
当時の死を報じたスポーツ紙や夕刊紙が「不審火」「書斎だけ炎上」「通報の夫人は軽症」という感じで報道され、個人的におおいに衝撃を受けたことを思い出します。
景山民夫氏といえば、直木賞受賞作品の「遠い海から来たCoo」などで小説家としても有名ですが、40代、50代のおじさんたちにとっては、『シャボン玉ホリデー』『タモリ倶楽部』『11PM』『クイズダービー』等、の放送作家としての姿の方が知られていると思います。『オレたちひょうきん族』では ”フルハム三浦” で自分自身もTV出演するなど面白い方でした。小説をよく読んでいた管理人は、まさかこの人が景山民夫氏とは当時は思いもしないで見ていました。
そして放送作家として活躍中にエッセイストとして『普通の生活』というエッセイを雑誌『ブルータス』に連載していたのですが、小説家としての才能があったようで、1987年には冒険小説『虎口からの脱出』で第8回吉川英治文学新人賞、第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞を受賞し、翌年の1988年『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞受賞を受賞します。才能あふれる人だったようです。
小説の内容も幸福の科学の教義をふんだんに取りれたような内容にもなり、公私ともに信者としての姿を全面に出していたように思います。最初は説教臭い文章や突然のように出てくる教義らしい内容が鼻についたのですが、景山ファンとしては発刊される以上はついつい買って読んでしまいます。 しかし、段々と教義を自分のものとしてきたのでしょうか、「ティンカーベル・メモリー」など後年の作品には初期の説教臭さがとれてごく自然と読めるようになり、文章自体に優しさや癒やしを感じられるようになりました。これからの作品にちょっと期待もしていたのです。
景山氏の焼死も「プラモ製作中の事故」と報じられたため、業界団体である模型連合会など徹底的に調査されました。結論として「不適切な環境で不適切な溶剤を使用したために起こった事故であり、適切な環境、適切な溶剤を用いれば事故の起こり得る可能性は低かった」ということになりましたが、模型業界への指導が行われることになります。葬儀も幸福の科学が取り仕切りましたが、そんな葬儀を残念に思うかつての昔の友人たちもいたそうです。
→http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-426.html
本人自身はどうだったのでしょうか。幸せな人生だったのでしょうか。これからの人だっただけに残念でなりません。
最近、景山民夫氏の書籍が出ていたのですが、まさかの幸福の科学の霊言本というものでした。景山民夫氏があの世からの通信を送ってきたということなのですが、一般読者とすれば、これは本物なのかどう判断すれば良いのか困ってしまいます。何冊も愛読してきたファンにしてみれば、あの世での小説というものを読めば本物であるのか、偽物なのかが判断できるのでしょうが。
信じることができる信者さんはともかく、幸福の科学の信仰がない一般人からしてみれば、有名人のネームバリューを利用しているように思われると思います。
本物の宗教なのか、偽物なのかは、その教えの内容よりも、その内容を信じている信者さんの姿で判断するのが一番だと思います。どこの宗教でも「愛」を説いていますが、それを公約のようにちゃんと実践しているかの見極めが大事であるでしょう。
「その樹の善し悪しは、果実を見れば分かる」との言葉通りだと思います。
さて、幸福の科学の信者さんはどうなのでしょうか。幸せになっているのでしょうか?周囲の人も幸福になっているのでしょうか。人格は向上しているのでしょうか?
信仰を持つことは人間にとって大切なことだと思いますが、それによって心が豊かにならないと入信する意味がないように思うのです。信仰とは自分を「神仏」へと近づける行為であると思うのです。ですので多くの色んな意見を聞くことができる器の広さをもっていただきたいですし、独善的になって、信仰を持っていない人間を上から目線で見下したり、批判をするのはやめた方がよいでしょう。そういう姿に他の人は辟易するのですから。
神や仏から流れる教えを学べば学ぶほど、感化力や魅力ある人物になるのが道理であると思います。
景山民夫氏の著作のファンとしてこの日を偲びたいと思います。
幸福の科学の影響を受けた書籍
【1月26日】一番高い有料駐車場ってどこ?本日は有料駐車場の日
本日1月26日は「有料駐車場の日」です。東京都が1959年のこの日に公共駐車場として日本初のパーキングメーターを日比谷と丸の内に設置したことに由来します。
ちなみに当時の駐車料金は15分単位で10円だったそうです。そうすると1時間で40円ですが、今で言うとどのくらいなんでしょうか?
ちょっと調べてみましたら、出前ラーメン40円くらいで、地下鉄初乗り25円、ハガキ5円の時代だったそうです。5、600円くらいの感覚なのでしょうか。そんなに高い感じはしないですね。
最近ではコインパーキングも増えてきましたが、田舎ですと、駅前に一日留めてもタダですし、無料なところがざらにありますが、都心部になると大変です。そもそも駐車場を探すのに一苦労で、最近はスマホのアプリでも駐車場検索ができるようになりました。
情報は随時更新されているようですが、国内で一番高い有料駐車場といえば、まっさきに思いつくのはやはり東京。中でも銀座は10分300円というとことがあります。1時間で1800円!
更に銀座六丁目では10分600円です。1時間で3600円!半日停めるだけで、4万3200円ですよ。ホテル代より高いんじゃあないでしょうか?流石銀座。ここが日本で一番高い有料駐車場のようですね。1分60円なんて、駆け足で乗り降りしたくなります。
しかし、地方も負けていません。京都の東山五条は15分500円。1時間2000円です。
→NAVERまとめ【銀座1時間3600円】高すぎるコインパーキング選手権
→駐車場ナビ
→タイムズ駐車場検索
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【1月25日】ギャングスター、アル・カポネの日
本日1月25日は、アル・カポネが死んだ日です。映画やテレビなどでよく取り上げられ、歴史上最も名の知れたギャングとして有名ですね。(Al Capone、1899年1月17日 - 1947年1月25日)
ナポリからの移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれたアル・カポネですが、少年時代には早くも犯罪の世界に入ります。 アメリカは、1920〜1933年まで行われた禁酒法時代に、密造酒製造・販売などが闇の組織の財源になってしまい、結果として、酒の収入が闇から闇に流れたたために、その収入をめぐってギャング同士の抗争にまで発展しました。
アル・カポネなどはこの時に暗躍した最も有名なギャングスターと言われています。
→【1月16日】世紀の悪法と言われた「禁酒法」が成立
密造酒が闇の組織の重要な財源になると、今度はその独占や縄張り争いが激化します。カポネは敵を抹殺しながら、自分も命を狙われるという人生に明け暮れます。1920年代のアル・カポネは、実質的に裏の市長ともいえる存在となり、1927年頃にはシカゴでは知る人ぞ知る有名人となります。この頃のカポネは権力も力もあり、以外と大衆の人気者だったそうでです。
しかし、1929年2月14日には、有名な聖バレンタインデーの虐殺という抗争事件を起こします。実質、裏ではアル・カポネが指示を出していたと言われ、抗争相手のバッグズ・モラン一家のヒットマン6人及び通行人1人の計7人が殺害されました(モラン自身は難を逃れている)。
殺戮現場の写真など、事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになります。
少々派手にやり過ぎたようです。カポネの栄華はそう長くは続きませんでした。1931年の6月、カポネは脱税の容疑で起訴されました。
たかが脱税ですので当初はカポネも高を括っていましたが、下された判決は11年の懲役と罰金5万ドル、訴訟費用3万ドルというべらぼうなものでした。
そして脱出不可能と云われたアルカトラズに収容されたことでカポネの支配は終わりを告げます。この間に梅毒が悪化し、1939年の釈放時にはかつての彼は見る影もなく、1947年の1月25日に死亡しました。
最後はギャングらしく銃弾に撃たれたのかと思いきや、寂しい最後でした。
犯罪者をトランプの絵柄にするなんて、アメリカは凄いですね・・・。
【1月24日】一攫千金を夢見た人たち。今日は金の日。
金発見の報せはたちまち広がり、そのわずか4年後にはカリフォルニアの人口は20万人まで急増し州に昇格、西部の開拓が急進展することになります。ゴールドラッシュの始まりです。最終的にはアメリカの全国や海外からおよそ30万人がカリフォルニアに集まることとなりました。
当初、採掘者は思い思いの単純な技術で小川や川床の砂金を探しましたが、後に金探鉱のためのより洗練された技術が開発され、個人の採掘者よりも会社組織の探鉱の比率が増していくことになります。今日の米ドルで数十億ドルにもなる金が発見され、極少数の者には莫大な富をもたらしましたが、多くの者は来た時と大してかわらない資産のまま故郷に帰ったそうです。
しかし、ゴールドラッシュの影響はそうとうのものでした。サンフランシスコは小さな開拓地だったものが新興都市に成長し、カリフォルニア中に道路、教会、学校および他の町が建設されました。
さらには新しい交通体系が発展し、蒸気船が定期運航され、鉄道が敷かれ、カリフォルニアの次の成長分野となった農業がこの時期に州内で広く始められることになります。
しかし、ゴールドラッシュは負の面もありました。長らくその地に住んでいる多くのインディアン部族が迫害され、その伝統的な土地から追い出されることになります。ヤナ族などは、金鉱目当てに入植した白人たちによって根絶やしにされ、絶滅させられてしまいました。
アメリカンドリームなどの希望の面にはこういう人間の欲望に伴う負の側面があることを忘れてはいけないと思います。
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【1月23日】エドヴァルド・ムンクの命日と5種類の「叫び」
【ムンクの叫びは実は5種類ある】
ムンクといったらなんといっても「叫び」の作者として有名で、日本では「ムンクの叫び」として知られています。
この作品は実は5点制作されており(版画や下絵なども合わせるともう数種類)、油彩画は数年前に盗難に遭いましたが、無事取り戻すことができ、ムンク美術館で観ることができます。
パステル画の方の落札価格は、日本円にして96億円にもなり、絵画の競売落札価格として史上最高値となったことでも知られています。
1893年 油彩画で制作。
1893年 クレヨン画で制作
1895年 パステル画で制作
1895年 リトグラフで制作
1910年 テンペラ画で制作
有名なのはこれですよね。
4.叫び (リトグラフ版) / 1895 / ムンク美術館 5.叫び (テンペラ版) / 1910 / ムンク美術館
それぞれの違いが感じられたでしょうか。個人的には最初の油彩画と最後のテンペラ版に惹かれます。
【叫んでいるのではなく、耳を塞いでいるのがこの絵】
一番誤解されていると思われるのは、この絵は「橋の上の男が叫んでいる」のではなく、「橋の上の男が聞こえてくる叫びに耐えかねて耳を塞いでいる」様子を描いた絵だそうです。以下、本人の日記から
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
それは炎 の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然 を貫く果てしない叫びを聴いた。
ずっと見ているとなんともいえない不安感が増してきますよね。YouTubeでこの作品を映像化したものがアップされていました。ユーモラスだけど恐いです・・・・。
さて、エドヴァルド・ムンクですが、ノルウェーでは国民的な画家となり、現行の1000ノルウェー・クローネの紙幣にも彼の肖像が描かれています。 本人は何人もの女性と交際し、刃傷沙汰も起こしたりし、ノイローゼにもなったりと波乱な人生を送りましたが、まさか自分が後の世で紙幣になるとは思いもしなかったでしょうね。
→ムンク美術館 - ムンクの作品(画像、解説あり)(英語)
なんか色々と商品化もされています・・・・
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【1月22日】飛行船の日と所沢飛行場
1月22日は日本の「飛行船の日」です。
1916年(大正5)年のこの日に、日本初の国産飛行船、陸軍の「雄飛号」が所沢~大阪間で実験飛行したことにちなんでいます。
1916年というと、第一次世界大戦の真っ最中で、日本も日英同盟に基づいてドイツ帝国へ宣戦を布告して連合国の一員として参戦しました。
さて、この飛行船、「雄飛号」という名前ですが、元はパルセヴァル式飛行船を改修したもので、所沢飛行場にて実験飛行を行うことになります。所要時間は合計11時間34分。巡航速度は約60km/時でのんびりとしていますね。
この所沢飛行場ですが、日本の飛行機の歴史では切っても切れない有名な場所で、飛行機ファンにとっては正に聖地ともいうべき場所です。
現在は土地の7割は、所沢航空記念公園をはじめ公共施設用地として利用されていますが、一部は現在も、米第5空軍374空輸航空団所属、所沢通信基地や大和田通信所として稼動しています。
所沢飛行場の歴史関しましてはこちらのサイトさまが大変参考になります。
→所沢飛行場物語( 所沢飛行場の100年)貴重な写真も沢山あります。
→雄飛号の写真と記事はこちら
さて、地元ではこの飛行船、「雄飛号」の初飛行した記念に創製した和菓子が売られています。昭和5年には「帝國優良品大審査会壱等賞金牌」を受賞した逸品。
古くからの所沢名物だそうで。その写真はこちらから御覧ください。
→さいたま逸品ぐるめぐり「雄飛焼き」
なんとなく飛行船の形状といいますか、浅草にあるアサヒビールの金の巨大なアレみたいですが。
行くことがあれば是非、よって買っていきたいなぁと思います。
→【9月20日】空の日と山田猪三郎
こちらの書籍が大変参考になります。

日本飛行船物語―航空界の特異な航跡を辿る (光人社NF文庫)
- 作者: 秋本 実
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 文庫
【1月21日】ルイ16世とマリー・アントワネット
ルイ16世(本名:ルイ・オーギュスト 1754年8月23日 - 1793年1月21日)は、ブルボン王朝第5代の国王で、ルイ15世の孫です。
王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの娘であるマリー・アントワネット。こちらのマリー・アントワネットの方が知られているかもしれませんね。
フランス最後の絶対君主にしてフランス最初の立憲君主となります。
当時建国したばかりのアメリカを援助したり、拷問の禁止、戸籍上の身分がなかった人たちへ寛容令を出し、身分を認めるなど人道的な政策も推進して、国民からの評判も決して悪くない国王でした。
一方で、不器用で優柔不断な面も持ち合わせていました。
当時は公妾として、愛人を公認されていましたが、生涯マリー・アントワネットただ一人を愛していたようです。ルイ15世には60人以上の私生児がいたとされていますから、真面目な人ではあったようです。
しかし、それがマリー・アントワネットにとっては退屈に感じてしまったのかもしれません。彼女の心の中にはフェルセン伯爵がいたことをルイ16世は知っていました。
それでもルイ16世は愛人をつくりませんでした。皮肉にもこれが逆に全ての中傷がマリー・アントワネットに集中してしまったのも事実です。
今までは王室の都合の悪いことは、すべて公妾たちのせいに出来たのですから。
特権階級の貴族や王政に対する民衆のくすぶる不満はフランス革命となって爆発し、ルイ16世と民衆を苦しめる浪費の象徴となったマリー・アントワネットは囚われの身となり、形だけの裁判の後、死刑になります。
自分が最後までマリー・アントワネットに対して何の不満も抱いていなかったという言葉を残してルイ16世は断頭台の露と消えました。
関連記事
→【10月16日】マリー・アントワネット断頭台の露となる。
→【6月17日】ギロチンと処刑人。それにまつわる怖い話
【1月20日】ヤマト運輸が「宅急便」のサービスを開始。
1976年の1月20日のこの日、大和運輸(現在のヤマト運輸)が「宅急便」のサービスを開始します。
宅急便とは個人宅への配事業で、当時は郵便局の郵便小包以外にライバルがないにもかかわらず、やる業者がいませんでした。その理由は「集配効率が悪く絶対に儲からない」から。
事実、ヤマト運輸の社内でも、社長以外、宅配事業参入には全員反対だったそうです。
しかし、社長は、アメリカのユナイテッド・パーセル・サービス(アメリカ最大手の宅配業者)をたびたび視察して「絶対に需要はある。問題は車両単位の損益分岐点をどうやって越えるか。ネットワークシステム全体の損益は、車両の損益の合計だからいずれ利益が出るだろう」というのが、社長の読みだったそうです。
かくして全国一律一個500円、翌日配達、荷物一個でも電話で集荷に行くという、宅配事業が始まったわけですが、初日の扱い個数は11個でした。
しかし、「翌日届く」というのが、驚きと共にお客様の口コミとなり、その後、急成長していきます。
1979年時点での取り扱い区域は面積比で27%、人口比では75%、その後順次拡大し、10年後の1989年には、面積比で99%、人口比では99.7%をカバーするまでに成長しました。
この間、運輸省との闘いは有名ですが、強者の戦略に変わってくために、さまざまな手を打っています。
まず、取次店制度です。一個500円のうち、取次店に100円、また、お客様にも持ち込み料として100円割引として、一気に全国のネットワークを広げます。
さらに、翌日配達に徹底的にこだわり、運行便を一日一便から二便に増やし、集配サイクルを一日2サイクルにすることで翌日配達率90%を達成していきます。
その後も、ゴルフ宅急便、スキー宅急便、クール宅急便、ブックサービスなどの、他の追随がある前に、どんどん新サービスを次々と打ち出しました。
さらに、不在対策ではなく「在宅時配達」という新たな考えや、これまで、6時までの配達が常識だったところを、夜9時までの配達にしたりして、勝因をどんどん供給し続け、業界をつねに驚かせ続けてきました。
その根本は、「サービスが先、利益はあと」という社長の経営方針だったと言います。
この結果、1979年頃の小包全体のマーケットは2.5億個でしたが、2004年には(25年間で)、なんと28.5億個(約11倍)にまで押し上げました。うちヤマト運輸が10.6億個(シェア37%)のトップ(2位は佐川急便33%)となっています。
これは、ヤマト運輸がマーケットを作り出したといっても過言ではないでしょう。
最近はどんな田舎でもネット環境とこの宅配便があるお陰でかなり便利になりましたね。今後も新サービスをどんどんと開発して欲しいと思います。
ちなみにこの「宅急便」という名称はヤマト運輸のサービス名だそうで、通常は「宅配便」と呼ぶそうです。「魔女の宅急便」は提携したので使用しているとのこと。同じ黒猫が出てきますものね(笑)。
【1月19日】家庭用消火器の点検の日〜火災と消火器の種類について
火災の多い季節を迎える11月に「119番の日」を制定して火災予防運動を行ない、さらには、真ん中の月に家庭消火器を点検しましょうという感じなのでしょうか。
ちなみに119番で、「ダイヤル119の末尾が9なのは、電話した人の心を落ち着かせる為」というのは都市伝説だそうです。緊急回線が作られた1926年当時、緊急ダイヤルは早く回せる、112番だったのですが、あまりに間違い電話が多発したので、2でなく9に代え、119になったというのが真相だそうで。
「9」にしたのは当時まだ「9」が地域電話で使われていなかった為で「心を落ち着かせる」というのはまったく関係ないそうです。110番もそうですが、今まで信じていました(笑)。
さて、家庭消火器普及も阪神淡路大地震以降、着実に増えてきているそうです。
しかし、ひとくちに火災と言っても種類があり、それぞれの火災に対応した消火器を使用する必要があるそうで。
火災の種類
消火器で対応できる火災は、消防法によって以下の3種類に分類されます。
①A火災(普通火災)〜木材や紙などが燃える火災
②B火災(油火災)〜油やガソリンが燃える火災
③C火災(電気火災)〜コンセントなどの電気設備器具から出火する火災
消火器のラベルにどの火災に対応しているかシールが貼ってあります。
このうち電気火災は間違った消火器を使うと感電の恐れがありますので注意する必要があります。家庭内で起こりうる火災に備えるには、この3つの火災全てに対応する消火器を選ぶ必要があるわけですね。
消火器の種類
家庭用消火器具には、粉末タイプ、強化液タイプ、スプレー式のエアゾールタイプ、さらに消火剤を投げて使う投入タイプと様々なタイプの消火器があります。
このうち、前記3つの火災 に対応するのは、粉末タイプと強化液(水、泡系)タイプです。
粉末タイプ〜よく、見る赤いアレです。これはABC火災全てに対応しているものが多いのですが、ピンク色の粉末が充填されていて、結構飛び散るので視界がよく見えなくなることが多く、後始末も結構大変です。でも一気に炎を押さえるにはこれ。
消化液タイプ〜粉末と違い、視界が遮られることはありません。焦らずに放射すれば粉末タイプより確実に消化することができます。後の清掃も楽です。
エアゾールタイプは、小型で安いですが、内容量が少ないので、火が大きいと消化できない場合があります。手軽で使いやすいのがメリットですので、キッチンなどの小規模火災用として考えるのが良いですね。
これ以外にも投入タイプというものがあります。これは普通火災や油火災用で、消火剤を投げるだけなので取り扱いは簡単。完全な消化というより、逃げる場合の通路確保という使い方が最適のようです。
消火器は滅多に使用するものではないので(使わずに越したことはないですし)、耐用年数とか忘れがちになりますが、一般消火器で10年、住宅用消火器やエアゾールタイプの消火器の場合は3〜5年だそうです。
何かあった時のためにちゃんと練習しておきたいものですね。
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【1月18日】海の「もしも」は118番〜今日は118番制定の日
本日1月18日は、海上保安庁への118番の日です。2000年から設置されて今年で16周年だそうで。
110番は警察、119番は消防ですが、それに比べて知名度はまだまだですよね。海難救助の海の事故なのに警察や消防に連絡してしまうケースが多く、肝心の海上保安庁への通報が遅れることが多いそうです。
逆に118番にかかってくる電話は、その約99%がイタズラ電話や間違い電話だそうです。それでももしかしたら、切迫した事件・事故の通報だったかもしれないので、念のために電話番号や位置情報を調べて折り返し電話しているそうですので、間違えてしまった場合は慌てて切らずにちゃんと相手に伝えましょう。電話がかかってきますよ。
・密輸、密航など海の犯罪の情報を得た 。
・不審な船を発見した。
・海上での油等の流出を見つけた。
身近なところでは、やはり海難の人身事故だと思います。日本は47都道府県のうち、海がない内陸県が8つしかない国ですので、海に関する事故などの対処もしっかりと覚えておきたいものです。
ちなみに海がない県は、栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県です。我が県は関係ないと思っていてもレジャーや仕事などで海に面した所にいく機会もあると思いますので「海でのもしもの時は118番」、覚えておきましょう。
→海上保安庁 マリンレジャー安全推進室
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【1月17日】阪神・淡路大震災と自衛隊の救助活動
新しい悲劇が起きると、過去になった悲劇は徐々に記憶から薄れていきますが、この悲劇も決して忘れることができません。阪神・淡路大震災です。1995年 1月17日午前午前5時46分52秒、 京阪神地区でマグニチュード7.3の地震が発生し、死者6,434名、負傷者43,792名という大災害となり、30万人もの人が避難しました。
朝に発生したこともあり、火災や倒壊で死んだ方が大勢でました。死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死しました。特に1階で就寝中に圧死した人が多かったそうです。
管理人の知人もこの時に亡くなりましたが、圧死による即死だったのがせめてもの救いでした。あれから19年。月日が経つのは早いものです。
自然災害で亡くなったことについては諦めもつきます。しかし、政府の不手際による救出の遅れに対しては深い憤りを感じます。
日本が地震多発地帯であるにもかかわらず、被害地域の惨状を把握する手段が十分に講じられていなかったこと、危機管理体制の欠如・縦割り行政といった行政上の様々な弊害が現れました。
初動対処が遅れた原因には自衛隊に対する偏見が多いに影響していたことも指摘されています。
また米海軍第七艦隊の救援の申し出の断りなどは、左翼的イデオロギーが邪魔をしていたのではないかと勘ぐる動きをしています。
更には取材ヘリコプターの騒音によって家屋の下敷きとなった被災者の声を聞き取れずに救助隊の初期活動の大きな妨げとなったのは間違いなくあったと思います。
自治体と自衛隊の連係がこれを機会に見直されて、自衛隊そのものを見る目が変わったのはとてもいいことですね。
この阪神・淡路大震災のことを考える時、いつも思い出すエピソードがあります。
ソースはこちらから抜粋させていただきました。
→NAVER まとめ 自衛隊の良い話
駐屯地祭にて
2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて 風呂も沸かしてくれて 夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか? 消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…
団体は撤退・・・
彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
この話自体が真実なのかは定かではありませんが、東北大震災の時も真っ先に駆けつけて最後までいてくれたのは自衛隊の方々でした。管理人もこの女子高生とまったく同じ気持です。
もう一つ
広島の平和集会
広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉
市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う
自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」
自然の前には抗えないこともあります。でも、人間として助け合い、災害を最小限に防ぐ努力は必要です。そして助けてくれたのなら、素直な感謝の気持ちを表せる人間になりたいものです。
【1月16日】世紀の悪法と言われた「禁酒法」が成立
眺めている人達がなんとなく寂しげ・・・。
「もったいねぇ・・・」という心の声が聞こえてきそう。
もしも、今の日本でお酒が全部禁じられたらどうします?
ビール、日本酒、焼酎、ウイスキーはもちろん、ワインもブランデーも禁じられます。
居酒屋やレストランやビアガーデンでの飲酒もダメ、CMでもお酒はダメ。当然、新年会も忘年会でもお酒が禁じられます。自宅での毎晩の晩酌でさえできなくなります。こんな恐ろしいことが過去のアメリカで実際におきました。
1919年のこの日、酒の製造や販売などを禁じた禁酒法(アメリカ合衆国憲法修正第18条)がアメリカ議会を通過したのです。この愛飲家にとっては地獄というべき恐ろしい法律は、翌年の1920年の同じく1月16日についに施行されることになります。
なんでこんな法律がアメリカで成立したのかですが、1920年代の初頭にはすでにいくつかの州で、個別に禁酒法は施行されていました。アメリカにはモルモン教やクエーカー教などのように、宗教の戒律で飲酒を禁じているケースもあったように、元々、禁酒する風土は存在していました。アルコールは神からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものという明確な社会的コンセンサスがあったのです。まあ、飲み過ぎや酩酊は今でも良くないこととされていますし。
さらに時代は第一次世界大戦の後ということもあり、穀物を酒に回す余力がなかったという国内情勢や、女性の人権が向上してきた時代背景もありました。そしてビールを作っていたのが敵国ドイツ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがアメリカにもあったかは定かではありませんが、「ビール=ドイツ=悪」というアメリカ人らしい単純明快な図式が禁酒法の制定に拍車をかけました。
このように、元々アメリカには禁酒する宗派があったことや、女性運動家たちの禁酒運動、政府報告によるアルコールの有害性が流布されたこと、また、打倒ドイツの運動もあったことが禁酒法の制定につながったわけです。
しかし、いくら法律を作っても必ず抜け道ができるのもまた人間の成せる技(笑)。
お酒を製造して摘発されても僅かな罰金で釈放されたり、闇バーが流行ったり、医療目的で飲める道があったりと色々な手を使って飲んでいたそうです。
当然この法律はアメリカ国外では何の影響も持たず、多くのアメリカ人がアルコール飲料を飲むために国境を越えるようになりました。おかげで周辺の国のアルコール産業は大いに潤ったそうで・・・。
たちが悪いのは粗悪な密造酒で多くの人が死んだり、マフィアの重要な資金源になってしまったこと。
結果としては、酒の収入が闇から闇に流れたたために、その収入をめぐってギャング同士の抗争にまで発展しました。
アル・カポネなどはこの時に暗躍したギャングスターと言われています。
→【1月25日】ギャングスター、アル・カポネの日
結局、最終的には、この禁酒法はザル法で意味がないことや、国民からの批判があったことと、先ほど挙げた闇組織にも酒の利益が流れたことが問題であり、何よりも実質禁酒法が守られていないことが、法律そのものを軽視することにつながる恐れがあり、1933年についにこの法律は廃止されました。
禁酒法が廃止されたことで、犯罪組織は安価なアルコールとの販売競争に敗れ、多くの州で闇市場でのアルコールの売り上げを失ったことになります。
しかし、憲法改定の後も禁酒法を実施し続ける州もありました。特に先駆けて1907年に禁酒法を作ったミシシッピ州は1966年まで禁酒法を廃止せず、最後まで禁酒法が残る州となり、カンザス州では1987年まで、バーの様な屋内の中で酒類を提供することを許可せず、今日でも酒の販売を制限したり禁止する「ドライ」な郡や町が多数残っています。
公の場で安心してお酒が飲める時代になって多くの人々は安堵したことでしょう。何事も行き過ぎはよくありません。
理想を追い求めて壮大にコケた法律だったと思います。
【1月15日】イチゴの日と再び栃木県について
本日、1月15日は「成人の日」でした。1948年から施行されていましたが、祝日法の改正により、2000年からは1月の第2月曜日となり、現在の法律ではこの日が成人の日に該当しなくなりました。年配の人だと1月15日がまだ「成人の日」だと思っている人も多いのではないでしょうか。
そういうことで、本日は「イチゴの日」を取り上げてみたいと思います。いい(1)、いちご(15)の語呂合わせで、全国いちご消費拡大協議会というところが本日をイチゴの日として制定しました。
イチゴの生産量日本一といえば、栃木県です。栃木は「かんぴょう」の生産量も日本一です。やりますね。
→【1月10日】かんぴょうと栃木県
そんなイチゴですが果物と思いきや、野菜に分類されるそうです。イチゴにとっての果実は一見して種子に見える一粒一粒であり、正確には痩果というそうで。果実的野菜なんですね。
そんなイチゴ王国栃木県の一番のオススメは何と言っても「とちおとめ」。東日本のシェア1位となりました。糖度も抜群で比較的日持ちもいいイチゴの王様です。
栃木県の「いちごの里」では、イチゴ狩りやいちごジャムやケーキ作りの体験教室も開かれています。1〜2月のイチゴ狩りが一番美味しいそうです。
→いちごの里HP
→いちご狩りプランのある宿泊施設
栃木のいちご 究極の【とちおとめ】 2Lサイズ平詰め(48)【送料無料】【2014年1月6日以降発... |
【1月14日】日本人が見つけた釈尊の霊鷲山〜大谷光瑞
1903年の本日1月14日、日本の宗教家、大谷光瑞率いる大谷探検隊がインドビハール州ラージギル郊外で釈迦が説法をされたとされる霊鷲山を発見しました。
霊鷲山といえば、釈迦が数多くの説法をされたとする場所で、有名な法華経などもこの地で説かれたことになっています。
釈迦が在世した当時は、マガダ国の首都(王舎城)の東北に位置する小高い丘だったそうで、当時の国王だったビンビサーラ王もこの場所に何度も訪れ、釈迦の説法を拝聴しました。
霊鷲山という名前の由来ですが、下から見ると、ちょうど鷲の頭のように見える小高い丘であったことから名付けられたと言われています。
仏教徒にとってはまさに憧れの聖地であったわけですが、インドの仏教はその後、イスラム教に押され、廃れてしまい、この聖地は長らくの間、場所も忘れられていたのです。
しかし、鎖国も解かれ、文明開化の時代の流れのなかで日本も世界で出るようになり、この聖地を探すチャンスが訪れるようになります。
浄土真宗本願寺派の第21世法主大谷光尊の長男である大谷光瑞氏は27歳の時に教団活動の一環として西域探検と称してインドに渡り、仏跡の発掘調査に携わります。これがいわゆる大谷探検隊と呼ばれるものです。「キリスト教徒が仏教の遺跡を探検しておるというのに、われわれが坐視するわけにはいかん」と、国家的大事業である西域探検を西本願寺という一教団の力で押し進めてしまうのです。
当時の本願寺の予算は京都市の予算とほぼ同額と言われ、日露戦争にも今日の1000億円にものぼる金額を支出したといいますからすごい影響力を持っていたのではないでしょうか。
そして、1903年1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく謎の地の山であった霊鷲山を発見、数年後のインド考古局第3代目の長官ジョーン・マーシャルの調査によって国際的にこの発見した山が霊鷲山であると承認され、世界を驚愕させました。
大谷光瑞氏はその後、22世の法主を継ぎますが、その後も探検を続行させ、日露戦争には多数の従軍布教使を派遣。海外伝道も積極的に進めます。
霊鷲山の発見は、仏教徒たちにとっても考古学上的にも偉大な発見でした。その後、この霊鷲山には世界から数多くの仏教徒たちが巡礼に訪れるようになります。
【1月13日】たばこの日と平和
本日1月13日は「タバコの日」です。1946年 - 高級たばこ「ピース」が発売されたことにちなんでこの日が記念日とされました。最高級バージニア葉を使い、香り高いのが特徴で、当時は既存のたばこが10本入り20~60銭であるのに対し、10本入りで7円という高級タバコでしたが、自由販売たばこ第1号として、1946年1月13日に発売されて今も続く、ロングセラー商品となっています。
第一次世界大戦後の1920年に、平和が訪れた記念として発売されていましたが、販売が一度途絶えており、現行のピースとの継続性はないそうです。
しかしながら、現行のピースも第二次世界大戦後の混乱期に、平和な未来を願って発売されたものであり、その意味では、継続性のある「平和(ピース)」のたばこと言えそうですね。 戦後すぐに平和という名のたばこをしみじみと吸う・・・。平和を噛み締めて喫煙する人も多かったのではないでしょうか。
だけど、当時の7円というと物価が上がり始めるころですので、3,000円ぐらいの感じだそうで。うーん高い。
この当時のピースは、10本入りや20本入り、缶の50本売りなどの種類があり、ピース10とか、ピース50とか言われていました。現代に続くこのパッケージデザインは、1952年にアメリカの有名な工業デザイナーのレイモンド・ローウィという人が当時としては破格の150万円という高額でデザインしたそうです。この方は「ラッキーストライク」のデザインでも有名ですね。
このデザイン変更で爆発的に売り上げが伸び、「デザインが嗜好を変えた」などと絶賛されました。
シンボルマークのオ リーブの葉をくわえた鳩は、旧約聖書のノアの方舟のくだりで、外界の様子を知るため、ノアが方舟の窓から放った鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってきたこと で 、大洪水が収まり、安らぎの大地が近いことを知った、という、鳩が平和の象徴となった逸話にちなんでいます。
昔はほとんどの男性が普通にタバコを吸い、CMも流れていましたが、発がんの心配や健康ブームによって、煙者への風当たりは日増しに強くなるばかりですね。
喫煙者の方々は、立派な納税者だと思うのですが(笑)。
世界のたばこの銘柄を見ることができ、注文も可能です。
→http://www.world-tobacco.net/0.html
【1月12日】オーストリアの少佐にスキーを教えてもらったから今日という日はスキー記念日
本日1月12日は「スキー記念日」です。1911年1月12日にオーストリア陸軍のテオドール・フォン・レルヒ少佐という将校が、新潟県高田(現在の上越市)の陸軍高田歩兵第58連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なったことにちなんで、スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994年に制定しました。
このレルヒ少佐という方、スキーを教えるために来日してきたわけではないのですが、アルペンスキーの創始者の弟子でもあるということから、八甲田雪中行軍遭難事件の件もあって技術指導をしてもらうことになりました。
当時のスキーは滑るというより雪中を歩くための技術だったそうで、写真でもわかるようにストックは1本で行っています。しかし、ほぼ同時期に普及した札幌では2本杖のノルウェー式が主流となりました。
その後、1923年に開催された第一回全日本スキー選手権大会では、2本杖のノルウェー式が圧倒し、レルヒが伝えた1本杖の技術は急速に衰退しま した。
現在、新潟県上越市高田の金谷山には日本スキー発祥記念館が設置され、レルヒの業績を伝えています。
また毎年2月上旬に「レルヒ祭」をはじめとした各種記念イベントも開催しています。
なんといいますか、日本人は受けた恩は忘れないといいますか、どこかの国のように技術指導の恩を忘れて追い出したり、自分たちの国を起源にしたりしませんよね。歴史的事実に基づいて、ちゃんと評価し、恩を忘れないという姿勢はとても大事なことだと思います。
【1月11日】塩の日。「敵に塩を送る」と天然塩
本日1月11日は「塩の日」です。
「敵に塩を送る」という言葉の語源となった戦国時代の武将、上杉謙信と武田信玄の故事に由来するそうです。(1569年1月11日(旧暦))
当時、武田信玄は、今川氏による「塩留め」政策に苦しめられていました。領内は現在の山梨・長野県で海がないため、塩は輸入に頼っていたのです。
苦しむのはいつも領民です。上杉謙信は武田信玄のライバルでしたが、直接戦とは関係のないところで領民が苦しんでいるのを見かねて、越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けました。義を重んじる上杉謙信らしいエピソードです。
このことから、敵対関係にある相手でも、相手が苦しい立場にあるときには助けてあげることを「敵に塩を送る」というようになりました。でも、現代はうっかりミスなどで、「敵に塩を送るような真似をするな」なんて言い方が今は使われているように思います。
「義を重んじて”敵に塩を送る”」という使い方が本来の意味なのですね。
さて、この塩ですが、人間にとってもとても大事なものですので、どこの国でも政治的、経済的に重要な位置を占めていました。日本でも長い間、専売制度になっていました。
塩の種類ですが、
●塩田から精製する方法→海塩(天日塩など)
●ヨーロッパに多い岩塩
●海水から煮詰める方法→日本は古来からほとんどこの製法
などがあります。
海水を煮詰めれば食塩が取れますが、この煮詰めるのが実は大変で、一度、濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良いそうです。この濃い塩水を鹹水(かんすい)と言います。
日本では戦後、これらの伝統的な製塩方法では近代的な大量需要に対応するには限界があったことから、イオン交換膜製塩法なる方法が採用されて、高純度の塩が作られるようになりました。しかし、この塩は、海水などから精製された塩とは違い、「にがり」もなく純度99.9%の純化ナトリウムでした。
なんでこんなに純度が高いのかというと8割が工業用として使用するから。
ですので俗称「化学塩」と呼ばれたこの塩は、刺々しい味覚になり、この摂取のしすぎは身体に良くないとのことから減塩ブームもおきました。塩は健康に悪い、高血圧の元など目の仇にされていたのはこの化学塩のせいなのですね。
2002年頃からようやく自由化されて、本来のにがり成分の含まれた海水の塩も多く出回るようになり自然塩ブームが続いています。「赤穂の塩」とか「伯方の塩」などは有名ですよね。
でも、これらの塩も輸入の天日塩を国内で粉砕・洗浄・溶解し、海水やニガリを加え、立釜で加熱再結晶化させた「再製塩」で「にがり」も食品添加物として認められた物質(粗製塩化マグネシウムなど)なんだそうで。
本当の製法で作られたものは沖縄の「粟国の塩」などで、こちらは沖縄の海で作られた100%の天然塩です。にがりもその製法のなかで含まれているので安心ですね。
自然塩と表記されたものの中にもいろんなものがあります。水完全に溶けない塩は、自然のものではない成分が含まれているそうですので気をつけましょう。
料理でも身体にも一番大切と言われている「塩」ですので、これはこだわりたいところですね。
管理人の愛読書「築地魚河岸三代目」に塩について詳しく解説しています(26巻)
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コミックで紹介された「粟国の塩」
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【1月10日】かんぴょうと栃木県
本日、1月10日は「かんぴょうの日」です。
かんぴょうの漢字、干瓢の「干」が「一」と「十」の組み合わせから成ることからこの日になりました。
かんぴょうとは、ウリ科の夕顔の果実を細長く削り乾燥させたもので、巻きものなどにして食するのが一般的でしょうか。
国内でのかんぴょうの生産の日本一は、北関東の栃木県で、なんと全国の生産の約97%を占めているそうです。というか、もはや栃木県の独占食品ですね。
約300年の歴史を持ち、栽培面積、生産量とも日本一だそうで。
しかし、国内で流通しいてる「かんぴょう」のなんと9割は中国産だそうです。えーっびっくりデス。コンビニや回転寿司で食べる機会がある「恵方巻き」などは完全に中国産のかんぴょうで間違いなさそう。ということは、今や日本産はわずか1割、しかもその9割が栃木産で頑張っているのが現状なのですね。寂しいような・・・・・。
日本産と中国産のかんぴょうの違いですが、日本から種を持ち込んでいるため品質上に大きな違いはないそうです。あとは、手間暇と人件費、農薬などの違いになるのでしょうか。
栃木といえば「餃子」と良く言われますが、これは宇都宮市に限ったことで、県全体では「いちご」「にら」などが有名ですのでお間違いのないように。
かんぴょうは、栄養的にバランスがとれている食べ物で、食物繊維やカルシウムなどを多く含んでおり、消化が非常によく、便秘や夏バテ予防にも良いといわれています。
身体にいいからもっと食べる機会を増やしたいのですが、「かんぴょう巻き」以外にももっと調理方法が広く渡って欲しいところですね。
巻き寿司の代表格ですが、主役とはいえない「かんぴょう巻き」。でも身体に良いことは確かなので、もっと回転寿司で注文しておこうかな。
→かんぴょうのことなら!栃木県かんぴょう専門情報サイト
→かんぴょうができるまでを画像で紹介しています。
→かんぴょうのレピシ紹介【クックパッド】
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【1月9日】ドイツを崩壊させた英空軍爆撃機アブロ・ランカスター
1月9日は、第二次大戦のイギリスの爆撃機、アブロ・ランカスターが初飛行をした日です。
イギリス上空でドイツと激しい戦いをしていた、通称、バトル・オブ・ブリテンの真っ最中の1941年のことでした。
この爆撃機は、イギリスのドイツ反撃への主力機となった四発の爆撃機でした。昼間は米軍のB-17が中心となり、夜間は英軍のこのアブロ・ランカスターが中心となってドイツ本土を焼け野原にしていきます。
この前の機種がアブロ・マンチェスターと呼ばれる双発の爆撃機だったのですが、エンジンの不調や安定性の問題から200機あまりで運用を中止、主翼とエンジンを大幅に変えてこのランカスターとなって生まれ変わりました。
運用開始は1942年。終戦までに1156,000回の作戦に従事し、合計で約60万トンの爆弾を投下しました。これは米軍のB-17と同等数の爆弾量と言われています。
ドイツへの爆弾の投下量はすさまじく、その投下量は、なんと日本の10倍にもなりました。 作戦行動中に3,249機が失われ、100回以上の作戦に成功したランカスターは35機に過ぎなかったと言われています。
いかに過酷な任務であったかがわかりますね。
また、この爆撃機を有名にした作戦がありました。それは、1943年5月17日に実行された英空軍第617飛行中隊によるドイツ工業地帯のダムの破壊を目的とした作戦で通称、チャスタイズ作戦と呼ばれています。←実際の攻撃目標となったエーデル・ダム
この作戦にはダム破壊専用の「反跳爆弾(Bouncing bomb)」が使用され、19機が3箇所の目標に向かい、ダムの破壊作戦を行いました。
19機のうち4割にあたる、8機が撃墜され、搭乗員133名中53名が死亡する過酷な作戦でしたが、目標のダムの3つのうち2つの決壊に成功、下流の工業地帯に大損害を与えます。
作戦後、同中隊は勲章を授与。この部隊は「ダムバスターズ(ダム攻撃隊)」として知られるようになります。
このエピソードは「暁の出撃」というタイトルで小説や映画化もされていますね。
実際に使用された爆弾だそうです。

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【1月8日】外国郵便の日
本日1月8日は「外国郵便の日」です。1875年(明治8年)のこの日、横浜郵便局で外国郵便の開業式が行われました。
それまでは、横浜の外国人居留地にあったアメリカ郵便局が外国郵便の業務を行っていましたが、これを廃止して、日本政府が業務を行うこととした日です。
ちなみに世界の郵便制度の先駆けとなったのは、1840年にイギリスで始まった、全国均一料金制度と、切手を貼ってポストに投函すれば必ず相手に届くポスト投函制度です。
それまで飛脚制度だった日本でもこのイギリスの郵便制度を参考に新しい郵便制度を提唱しました。
この新しい近代的な郵便制度は、1871年(明治4年)4月20日に東京~大阪間で始まります。当時は東京と大阪間を3日と6時間かかって郵便を届けたそうです。
同時に、現在の郵便局の元となる郵便役所が東京・京都・大阪に設置されました。
東京郵便役所が置かれた日本橋郵便局があるところには「郵便発祥の地」の碑と近代郵便制度創始者の前島密(まえじま ひそか)の胸像が設けられています。
翌年の7月には、はやくも日本全国に郵便網がしかれ、日本全国、どこからでも、どこへでも郵便物を届けることができるようになりました。飛脚の方々は失業してしまったのでしょうか?
飛脚問屋は猛反对をしましたが、そこら辺も抜かり無く、飛脚問屋は陸運元会社として再組織され、小荷物・現金輸送に従事することになり、飛脚として活躍した人々は、郵便局局員や、人力車の車夫へと転職することになります。
この4年後には、もう海外への郵便も行われることになるのですから、この時代の文明開化の速度は早いですよね。
現代では荷物も900円から送れて、保証や追跡サービスもついて便利になりました。
あれほど大反対の大合唱だった郵政民営化ですが、その後はあまり騒がれませんね。今は成功といえるのかな?
→国際郵便らくらくナビ
【1月7日】海外のおみやげに「爪切り」が評判。「爪切りの日」
本日1月7日は「爪切りの日」となっています。日本の慣習で、新年になって初めて爪を切る日。七草を浸した水に爪をつけ、柔かくして切ると、その年は風邪をひかないと言われています。
ちょうど1月7日の朝は、七草がゆを食べる日ですから、その七草を浸した水も利用して行う習慣なのでしょうね。そういえば、七草はスーパーでパック詰めでちょこっと売られている程度で、どのくらいの家庭で行われているのでしょうか。気になるところです。
さて、この「爪切り」ですが、なぜ海外のおみやげで評判が良いのかというと、第一には「切れ味」だそうです。自国産や中国製のものはすぐに切れ味が落ちるそうで。日本のハサミや包丁なども切れ味がよいことで定評がありますから小さいものでも切るものには手を抜かない日本の工業技術が活かされているのでしょうね。そしてこれも日本らしい細かい配慮なのでしょうが、爪が飛び散らないようにカバーがついています。これは日本の爪切りの特徴でもあるらしく、一回使うと手放せないとのこと。
最近は、日本らしく蒔絵を入れておしゃれなものもできています。大きさも手軽でちょうどよいのが受けているのかもしれませんね。
【1月6日】さらばハイセイコー。
1975年の本日1月6日。 東京競馬場にてハイセイコーの引退式が行われました。
「ハイセイコー」という名前は少し年代をいっている方なら誰もが耳にしたことがあると思います。1970年代の日本では、一大ブームとなった国民的アイドルホースで、競馬ブームの立役者となりました。
成績ですが、通算22戦12勝と、名馬と言われる馬の中で勝率は低い方であり、日本ダービーと菊花賞も制していないのですが、なぜ、こんなに人気に火がついたのでしょうか。
ひとつには地方競馬から中央競馬に乗り込んだハイセイコーの姿が、当時の田中角栄人気と重なり、地方出身で庶民の成り上がりで生まれの良いエリートに挑戦していくという姿にダブったのだと言われています。
地方競馬では、2着に常に7馬身以上、6戦6勝という圧倒的強さを見せて、「地方の怪物」と呼ばれていてその存在はマスコミにすでに知られており、中央に活躍の場を移した時には、庶民のヒーロー的存在になっていました。
しかし、中央の期待の最初の結果は3着敗退でした。しかし、ダービーに負けたことによって、日本人特有の判官贔屓もあって、益々その人気に拍車が掛かりました。日本人は悲劇のヒーローを応援したくなりますものね。
当時の姿を知る年配の方々は、あの一生懸命に走る姿に感動したと良く言われます。一生懸命に走る姿に自分を重ねている方も多かったのではないでしょうか。
引退の際に騎手である増沢末夫氏が楽曲した「さらばハイセイコー」という歌は、オリコンチャートで最高4位を記録し、1975年度の年間売上げ枚数では37位を記録したそうですから当時の人気ぶりが伺い知れます。
ハイセイコーの名は競馬を知らない一般の人々にも知れわたることになりました。
競走成績による受賞はないものの、大衆賞なる特別賞を貰いさらに、競馬発展に大きく貢献したとして顕彰馬入りを果たすことになります。
競走馬引退後は種牡馬となったハイセイコーでしたが、その父の無念を晴らすようにダービー・天皇賞に勝ったカツラノハイセイコや皐月賞馬ハクタイセイなどを出し、種牡馬としてはライバルだったタケホープを上回ることになります。
1997年に種牡馬を引退した後は北海道の明和牧場で余生を送り、2000年5月4日に同牧場で死亡しました。その死を惜しまれる声が全国から届いたそうです。
会津から鬼怒川温泉へ向かう栃木県の国道121号線沿いに「ハイセイコー食堂」なる目立つ看板が出てきて、ちょっとびっくりします。なんでもハイセイコーの馬券で儲けて建てた食堂だとか?
大きな地図で見る
ハイセイコーの勇姿
さらばハイセイコー
【1月5日】囲碁とコンピュータ。そして漫画の影響力
本日1月5日は「囲碁の日」ですね。「い(1)ご(5)」の語呂合せで日本棋院が提唱しました。
囲碁は、チェス、シャンチーと並ぶ世界三大棋類の一つですが、最近の話題といえば、新年早々、ネットに謎の囲碁アカウント「Master」が現れ、井山裕太六冠とみられる人物と対戦し撃破したという話題でしょうか。
さらには1月3日に行われた対局で韓国1位の朴廷桓九段、中国1位で世界ランキング1位の柯潔九段をまで勝利したというから驚きです。
このMasterの正体ですが、Google DeepMindの共同創立者であるデミス・ハサビス氏が1月5日に囲碁ソフト「AlphaGo」の新バージョンだと明らかにしました。
いよいよ囲碁の世界でもAI(人工知能)が本格的に勝ってきたようで、ちょっと怖い感じがします。
囲碁は日本の文化にも浸透しており、 駄目、布石、捨て石、定石など、数多くの囲碁用語は、そのまま日本語の慣用句としても定着していますね。
数年前に一大ブームとなった「ヒカルの碁」ですが、この時に囲碁の棋士を目指す人たちが一気に増えたそうです。そして実際にプロ入りし始めているとか。
「キャプテン翼」「テニスの王子様」「スラムダンク」などのスポーツの漫画の影響力は大きいですね。
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【1月4日】量子力学とシュレーディンガー
オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン出身の理論物理学者です。長い名前ですよね。
シュレーディンガーといえば、アインシュタインと対立した量子力学の先駆者というイメージと、「シュレーディンガーの猫」という理論が有名かと思います。
この量子力学といえばもう一人有名な方がいて、デンマークの物理学者、ニールス・ボーアという科学者とともに、量子力学の発展に貢献しました。
この「シュレーディンガーの猫」という理論、箱を開けなければ、猫が死んでる世界も生きてる世界も存在し、観測することでどちらかに収束するという、なんとも分かったような分からないような話なのです。
例えば極微の世界で光子を観測しようとします。光は粒子でもあり、波でもあるということでヤングの干渉が起きます。これは左右のスリットを通る可能性(状態)があるのでその状態が重ね合わさっているのです。
しかしスリットに光子を観測できる装置(光子を監視)を置くと上に書いた状態がどちらかに決まるので干渉縞は観測できません。
つまりスリットの所でを観測することで「粒子」として観測され、干渉縞を観測することで「波」として観測されるのです。光は「粒子」でもあり「波」でもあるわけですね。
シュレーディンガーの猫の例えはこの現象と同様に観測することで、どちらかの可能性に収束するのです。
要は、見る人がいないところでは「実在するのか、しないのかはわからない」ということでOK?なのでしょうか。
なんとなくでもわかりたい方はこちらが参考になります。
→【ヤフー知恵袋】シュレーディンガーの猫について分かりやすく解説してくれませんか?
←量子力学の発展に貢献した科学者達。第5回ソルベー会議(1927年)にて。(中央にアインシュタイン)さて、最近では、アインシュタインの「一般相対性理論」と、シュレーディンガーやボーアたちの唱える量子力学」が直面する矛盾を解決する可能性のある「超ひも理論」というものがあります。
「すべての物質の中には、振動する極めて小さなエネルギーの糸が存在する」というひも理論(超ひも理論)なのですが、まだその仮説は証明されるに至っていません。
しかし、日本の教授が新しい仮説を立て、これが解決できる鍵になりそうなのです。
→【Gigazine】宇宙の存在は別の「パラレル宇宙」からのホログラムであるという研究結果が発表されています
宇宙の存在というものは、段々と解明されていくといいですね。もしかすると、それは長年の謎でもあった霊界などの解明にもつながっていくかもしれません。
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→【11月18日】ニールス・ボーアと原子爆弾
【1月3日】瞳の日とブルーライト
現代はパソコン以外にスマホなどのLED液晶画面のタブレットを見る機会が増え、目への負担も増えてきていますね。
液晶画面から放出されているのが「ブルーライト」と呼ばれるもので、目に見える光のなかでも特に強いエネルギー波長を持っているため、網膜の奥まで届いてしまい、頭痛や不眠といった体調不良につながることもあるそうです。
そこで、この対策のために、このブルーライトを軽減する専用メガネを使用している人も増えていますよね。
管理人も、東京のホテルに泊まった時にサービス品でもらいました。
すでにメガネをかけている人には面倒なのですが、食品から改善するという方法が今回のお話。
目にイイ食べ物といったら、「
ブルーベリー」。ブルーベリーが目に良いと分かるきっかけになったのは、第二次世界大戦中、ブルーベリージャムが大好きで、毎日パンにどっさりのせて食べていたイギリス空軍のパイロットが、夜間飛行でも「物がはっきりと見えた」と証言したことがありました。
それを聞いた学者が研究を進め、ブルーベリーに含まれる色素「アントシアニ ン」が、年齢や目の疲れからくるしょぼつき・かすみ・ぼやけを予防・改善できることを発見したとのこと。
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かたや、日本でも同じような話があるのですが、こちらは夜間に襲来するB-29を迎え撃つ日本軍のパイロットの話です。日本では、「暗視ホルモン」という薬を投射されたそうです。有名な黒鳥四郎とうパイロットはこの薬のせいなのか、なんと一晩で5機のB29を撃墜した例もありました。
しかし、この薬の正体は、なんと覚せい剤!の 「ヒロポン」でした。この名はギリシア語のピロポノス(労働を愛する)を由来としていますが「疲労をポンととる」というからという説もあります。
当時は疲労を取るとか、一種の強壮剤のような形で利用されていました。新聞にも普通に広告が掲載されているくらいでした。
しかし、黒鳥少尉の覚醒剤投与による異常感覚の発現は、戦後すぐの1946年から始まり、異常感覚がほぼ消失するには昭和60年ごろと非常な長期間を要した。具体的には尖ったものや手や鼻が自分の目に飛びこむ感覚、微熱と目眩、食欲の減退などに長期間苦しめられることになります。
やはり、ブルーベリーなどの自然のものから摂取するのが一番です。
ブルーライトも浴びすぎに注意ということで、何事もほどほどがいいようです。逆に床時に眠気を素早くとるためには、ブルーライトを浴びることが効果的なのだそうです。まずは、ブルーライトのリスクとつき合い方を理解することが大事といえそうです。
【1月2日】アシモフとロボット三原則
本日はアイザック・アシモフ(Isaac Asimov、1920年1月2日 – 1992年4月6日)の誕生日です。アメリカの作家、生化学者で特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られていますね。
有名なのは”ロボット三原則”と呼ばれているものでしょう。アシモフのSF小説の「ロボットシリーズ」ものの小説の主題として表れました。
これはロボットが従うべきとして示された原則で、人間への安全性、命令への服従、自己防衛を目的とする3つの原則から成るものです。
アシモフの小説に登場するロボットは常にこの原則に従おうとするのですが、各原則の優先順位や解釈により一見不合理な行動をとり、その謎解きが作品の主題となっています。
このロボット工学三原則は後の作品に影響を与えたのに加え、 単なるSFの小道具にとどまらず現実のロボット工学にも影響を与えました。
人間への安全性 → 安全(人間にとって危険でない存在)
命令への服従 → 便利(人間の意志を反映させやすい存在)
自己防衛 →長持ち(少々手荒に扱ったくらいでは壊れない)
という、今の家電製品に代表される道具一般にもあてはまる法則であることが、日米のファンらによって指摘されています。
鉄腕アトムやロボコップなどでもこの三原則に関係したものが出てきます。
このようなSF作品には強い影響を与えたこともあり、アシモフは、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと合わせて三大SF作家と呼ばれています。
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