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【9月14日】怨霊となった天皇。崇徳天皇



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讃岐に流された崇徳上皇(歌川国芳画)

 本日は、「菅原道真」、「平将門」と並んで日本の三大怨霊と言われる「崇徳院(天皇/上皇)」の没した日です(元永2年5月28日(1119年7月7日)〜長寛2年8月26日(1164年9月14日)。日本の第75代天皇で、退位後は新院、讃岐院とも呼ばれていました。

 三大怨霊の最恐の怨霊との呼び声高い「崇徳天皇」ですが、その経緯は、
保元の乱の失敗、讃岐配流にあります。

 崇徳は異母弟の
近衛天皇が若くして崩御したときに、再度、自分が天皇になるか、息子を天皇にさせようとします。しかし、近衛天皇の母が「近衛天皇が亡くなったのは崇徳が呪いをかけたからだ」と言い、その讒言を信じた崇徳の父である鳥羽上皇は弟の後白河天皇
を即位させました。
 父と不仲になった崇徳天皇は、源氏、平家を巻き込み、保元の乱をおこしま すが、敗れて讃岐に流刑となります。
 天皇もしくは上皇の配流は、藤原仲麻呂の乱における淳仁天皇の淡路国配流以来、およそ400年ぶりの出来事だったといいます。
 讃岐で謹慎しながらも、戦死者の供養と反省(京都に帰りたい思いもあり)を込めて写経した経典を、弟の後白河法皇に送って京の仏閣に収めてほしいと伝えたのですが、 朝廷は「呪いが込められているのではないか」と気味悪がってこれを拒否して送り返したのです。
 送り返された経典を見た崇徳天皇はこれに激怒し、自身の舌を噛み切って、その血で写本に「この経典の力を持って天皇家を永遠に呪い、民を皇に、皇を民にする」と言い、自らを「日本国の大魔王」と称して爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になって没したと言います。崇徳上皇の死後、京都では不穏な動きが始まります。後白河天皇の側近や身内の相次ぐ死、そして、延暦寺の強訴、
安元の大火鹿ケ谷の陰謀などの事件が立て続けに起こります。
 朝廷では保元の乱の怨霊による祟りと恐怖するようになります。後白河は崇徳上皇の「讃岐院」の院号を「崇徳院」に改め、頼長に正一位太政大臣を追贈することを命じます。保元の乱が終結して、およそ20年後のことでした。

 このことから怨霊としての崇徳院のイメージは定着し、近世の文学作品である『雨月物語』、『椿説弓張月』などにおいても怨霊として描かれています。

 それは近年になっても続き、明治天皇は自らの即位の礼を執り行うに際して勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建したといいます。
 
 なぜ、ここまで恐れられたかというと、その最大の理由として、崇徳の呪いの言葉、「民を皇に、皇を民にする」という呪詛が実現してしまったからというのがあります。
 その3年後に
平清盛が太政大臣になり、その後も700年に渡り、鎌倉幕府、室町幕府、織豊政権、江戸幕府と「民を皇に、皇を民に」なってしまいました。この事からも明治の世になった時に、崇徳院の呪いを解くという思いも込めて白峯神宮を創建したとされています。

 崇徳天皇の呪いは完全に解けたのでしょうか。日本では怨霊や祟神りを祭祀によって守護神へと変質させますが、恨みが解けて守護神として日本を護ってくださるといいですね。

Cap 556
なんだこれ(笑)




→こんな記事もあります
日本の三大怨霊その3〜崇徳天皇
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