【10月19日】ハンニバルついに敗れる。ザマの戦い。
本日のこの日は「ザマの戦い」と言ってローマ軍とカルタゴ軍の戦いのあった日でした。(紀元前202年10月19日)
カルタゴとローマ
カルタゴは紀元前6世紀から紀元前3世紀にかけて栄え、海洋商業国家として栄えた国でした。
軍事大国ローマと地中海の覇権を賭け、度重なる戦いの末に完全に滅ぼされてしまった悲劇の国家です。
両国は三度の戦いを繰り広げます。最初の戦争は、シシリー島での衝突をきっかけにした第一次ポエニ戦争でした。海軍では強いカルタゴも、総合軍事力ではるかに勝るローマには敵わず、莫大な保証金を払わされます。
しかしカルタゴは、たちまち見事な経済復興を遂げ、ローマによって科せられた膨大な賠償金を繰上げ償還してしまいます。
これに警戒感を強めたローマは、再度、戦いに引き込んで叩いてしまおうと様々な政治工作や挑発を繰り返します。
カルタゴを最も激怒させたのは、スペインにおいて輝かしい戦果を挙げていたカルタゴの将軍・ハンニバルの引渡しでした。(右図の銅像がハンニバル将軍)ここに至って、ついに忍耐の限度に達したカルタゴは、国家の存亡を賭けてハンニバルの引渡しを拒絶し、ローマの宣戦布 告によって第二次ポエニ戦争が始まります。
この時、ローマの動員可能兵力は77万、対するカルタゴは8万余。勝敗は明らかでした。
しかし、カルタゴは、名将 ハンニバルが3万の軍勢を率いてアルプスを越え、背後からローマを衝くという、意表をついた作戦で序盤戦の主導権を握ります。そこからハンニバルの快進撃が始まります。
ティキヌスの戦い、トレビアの戦い、トラシメヌス湖畔の戦いと三度ローマ軍を敗退させると、ローマに敵対的だったガリアの部族たちも続々とカルタゴ軍につくようになります。
圧倒的な勝利を収めたのはカンナエの戦いでした。これによりローマ軍は大損害を受け、正面からの戦いを避けるようになります。
(参考記事【8月2日】殲滅の因果か怨念か。カンネエの戦い)
自軍の数倍にも達するローマ軍を殲滅したハンニバルは、次々と敵の防衛線を打ち破り、ついにはローマの城壁にまで到達しますが、進撃もここまで。
持久戦に持ち込んだ圧倒的なローマの物量の前に徐々に情勢が苦しくなってきます。
「ザマの戦い」
名将スキピオの参戦で体制が整ったローマ軍は、いよいよ本格的な正面からの戦いに備えます。
これが、第二次ポエニ戦争のクライマックスの「ザマの戦い」です。
ハンニバルとスキピオの会見(Wikipedia)
両軍は対峙するなかで、ハンニバルはローマの名将スキピオと会見します。スキピオはハンニバルの能力を高く評価していたし、ハンニバルもスキ ピオの才能に一目置いていました。
ハンニバルはこれ以上の無益な戦いをやめて休戦交渉に入ることを提案しましたが、スキピオは拒絶、交渉は決裂します。
結局、両者は自陣へ戻ってついに10月19日、「ザマの戦い」が始まります。
ハンニバルの戦象隊の突撃をかわし、小集団の機動力を活かしたローマ軍は、かつてハンニバルがローマ軍を打ち破ったカンナエの戦いそのままの包囲殲滅が実現し、 ハンニバル軍は大敗します。
この勝利によって事実上、16年間にも及んだ第二次ポエニ戦争が終結しました。
「ザマの戦い」以後
戦後、スキピオは宿敵カルタゴに対し、寛容な方針で臨んだのですが、多くのローマ人はこの寛大な処置に大きな不満を持ちます。ローマ人の恨みはそれほど深いものでした。
どちらかが滅びないと収まりがつかないところまで両者の恨み、憎しみは高まっていたのです。
ここでもカルタゴ人は懸命の努力で経済復興に努め、この賠償金も予定年賦期間より早く支払ってしまいます。
これに危機感を募らせたローマは、元老カトーが中心となって、ハンニバルとカルタゴを滅ぼしてしまうことを決定し、無理難題を吹っかけて、カルタゴ人に反乱を起こさせようとします。
ハンニバルはカルタゴを脱出し、各地を亡命した後に自殺、カルタゴも武器も船も軍隊もないままに、絶望的な最後の戦いに突入していくのでした。これが第三次ポエニ戦争です。
3年間に及んだ戦いの末、カルタゴは滅びました。ローマは、カルタゴの町を略奪し、破壊し尽くした上、その地に二度と穀物が生えないよう、塩を撒くほどの徹底ぶりでした。
歴史は勝者のものになりますが、ハンニバルとカルタゴの名はローマに都合の良いように書き換えられてしまいました。
ローマを滅亡の渕まで追い込むことに成功したハンニバルは「ローマ最大の敵」と言われ、その名は「戸口にハンニバルがいた (Hannibal erat ad portas) 」、「危険が迫っていた」という意味の格言があるくらいです。
それだけの強烈な印象をローマ人に与えたのでしょう。しかし、この最大の敵と戦うことによってローマ軍はハンニバルの包囲殲滅戦術を身につけ、その後のマケドニア戦争やローマ・シリア戦争にも完勝する程の強大な存在となったのも歴史の皮肉にも思います。
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