【12月10日】坂本龍馬暗殺!
本日12月10日は、坂本龍馬(1836年1月3日〜1867年12月10日)が暗殺された日です。坂本龍馬は、土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活躍、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えました。大きな使命を終えた大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋にて中岡慎太郎と共に暗殺されました。享年31歳の若さでした。
龍馬暗殺の件はこちらに詳しく解説されています。 →近江屋事件(Wikipedia)
さて、気になる犯人ですが、様々な説があります。
新選組犯行説
事件当初は、いくつもの証言や物証もあり、新選組のしわざであると推定されていました。3日後に暗殺された伊東甲子太郎の同志(御陵衛士)らの証言から新選組の原田左之助によるものと推定されましたが不明です。後に幕府から取調べを受けた新選組局長の近藤勇は関与を否定しています。
現場に刀の鞘と下駄が残されていましたが、これは逆に新選組に嫌疑がかかるように仕組まれた罠だろうという見方がされています。
京都見廻組説
当時の見廻組隊士だった今井信郎が近江屋事件について取調べを受けた際に両名の暗殺に関与したと自供しました。今井は明治後期以降にも証言を行った他、大正時代には同じく元見廻組隊士の渡辺篤が龍馬ら暗殺をしたとの書置きをしていています。
しかし、今井や渡辺の口述に食い違う部分(刺客の人数構成、供述による斬った箇所と実際の傷の箇所の相違、現場に置き忘れた鞘の持ち主など)があります。
このため、証言が色々と食い違い、今井は実行犯でないことが分かり、西郷隆盛によって釈放されています。
このことから、見廻組を動かした黒幕は、トップの会津藩が犯人なのでしょうが、実は薩摩藩の西郷隆盛ではないかという説まで出てきました。
土佐藩佐幕派説
近年では、大政奉還当時の土佐藩は討幕派というよりも公武合体に執着しており、薩摩と長州に深い関係のある龍馬と中岡慎太郎は郷士でもあり、土佐藩上層部の佐幕派には邪魔で会津藩などと連携して二人を暗殺したという説がでています。
近江屋事件は土佐藩前の近江屋で起こり、現在、残っている近江屋事件の内容は、ほとんど土佐藩関係だけで、近江屋の主人などの同時代の資料もない(近江屋の主人の話などは明治末の言い伝え的なもの)ので、明治維新後に、土佐藩は龍馬と中岡慎太郎の死を、どのようにでも脚色できたという問題があること。
紀州藩士報復説
海援隊と紀州藩の間で起きた事件で、海援隊側の勝利に終わった訴訟「いろは丸事件」に対する、紀州藩士の恨みによる犯行であるとする説です。この事件が解決して8日後に龍馬が暗殺されたことから当時から海援隊隊士の陸奥宗光らが疑っていました。そのため、紀州藩公用人の三浦休太郎が海援隊隊士らに襲撃される報復事件(天満屋事件)まで発生しています。
薩摩藩陰謀説
西郷隆盛、大久保利通らを中心とする薩摩藩内の武力倒幕派による陰謀だとする説です。これは小説としては大変面白いのですが現在では根拠が薄いとされています。
外国陰謀説
武力倒幕により、薩長倒幕側に武器の売り込みを狙ったトーマス・ブレーク・グラバー、ハリー・パークス、アーネスト・サトウらにより仕組まれた陰謀であるとの説です。いわゆる「フリーメイソン陰謀論」に属する話です。薩長が同盟し幕府に対して兵を挙げれば日本に内戦が起き、イギリスは武器がたくさん売れて儲かると思ったのでしょうか。
うーん、こうしてみると四方八方から恨まれていますね。
大きな改革の時は、保守的な体制から恨まれるのはもちろんのこと、新しい利権をめぐっての争いにも巻き込まれることになりますので、まさに坂本龍馬は両方から恨まれてしまうのも無理はないと思います。
現在では、実行犯は「京都見廻組」説で落ち着いている感じですが、黒幕は未だ闇の中という感じでしょうか。
坂本龍馬と中岡慎太郎は、大政奉還後の新政府の構想を話し合っていたと言われます。坂本龍馬が生きていたら、どうしていたでしょう。明治政府の役人にはならないで、商人魂を発揮して新しいことをチャレンジし続けたかもしれませんね。
京都の近江屋事件後は今は見る影もありません。コンビニのサークルKは今は閉店しているそうです。
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