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【12月17日】飛行機の日〜ライト兄弟初飛行



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本日12月17日は、「飛行機の日」です。
1903年のこの日、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで
ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しました。兄ウィルバー・ライト、弟オーヴィル・ライトの二人による偉業でした。
 よく間違えられるのですが、空を初めて飛んだのはライト兄弟ではありません。

 まず先に気球による有人飛行が成功しています。これは1783年11月21日にフランスのパリで1783年
モンゴルフィエ兄弟熱気球による初の有人飛行に成功しています。実際に気球に乗った人物ですが、始めは死刑囚をのせる予定だったのですが、人類初の栄光を囚人に与えてはならないと、二人の勇気あるフランス人の若者ロジェダルラントが名乗り出て史上初の有人飛行が行なわれました。ですので、世界で初めて空を飛んだ人はフランス人の若者、ロジェとダルラントの二人ということになります。
(参考記事) →
【6月5日】熱気球が飛んだ日!


 1891年には、ドイツ人の
オットー・リリエンタールという人がグライダーによる飛行実験に成功しています。これは、空気より重い機体での初飛行の成功になります。
(参考記事)  
→【8月10日】空へ駆ける夢。オットー・リリエンタール

 その後、ライト兄弟が、12年後の1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功したことになります。この機体は「
ライト・フライヤー号」として有名なのですが、正確に言うと「最初の動力付きで、パイロットが搭乗して継続的に飛行し、機体を操縦することに成功した、空気より重い空飛ぶ機械」ということになっています。
 ちなみにこのライト・フライヤー号、ライト兄弟の初飛行100周年にむけて、ライトフライヤー号を復元する研究がいくつか行われたのですが、コンピュータのシミュレーションでは姿勢が安定せずに普通に飛べず、完成した復元機に至っては離陸すらできなかったそうです。ライト兄弟が成功したのは当日の強風と、兄弟の操縦技術のおかげだという見解もあるそうで。

 ここまでが、世界的によく知られている歴史ですが、人類初の有人動力飛行の名誉がライト兄弟に与えられるまで紆余曲折があったのはあまり知られていないようです。それは弟、オーヴィルが飛行機を発明したことを後悔するほどのものでした。

 この時代はエジソンたちにも見られる名誉とお金がからむ特許争い時代でした。ライト兄弟の成功と飛行技術に関する特許取得は、飛行機が兵器として注目されていたこともあり、争いや妬みの対象にもなりました。
 特に明らかな敵意で持って臨んできた人物に
チャールズ・ウォルコットと、グレン・カーチスがいます。二人共航空機のパイオニアなのですが、名誉と特許争いのためにタッグを組んでライト兄弟と争います。

 ウォルコットは、スミソニアン協会の会長でもあり、前会長
サミュエル・ラングレーが失敗した有人飛行機の「エアロドローム」の汚名を挽回したいと考えていました。そこでようやく1914年に飛行に成功したエアロドームを1903年のライト兄弟たちの初飛行の年の段階にまで形状を戻して「有人飛行可能な世界初の飛行機」として自分たちの協会の博物館に展示します。カーチスはそのことで、ライト兄弟の名を貶め、特許争いを優位に進めようと画策します。
 当然ライト兄弟は抗議を行いますが、協会側は徹底的に無視します。

 このやり方は功を奏し、一般にも世界初飛行に成功したのはラングレーだと思い込む者が増えたそうです。
 それは、1908年にフランスのシャンパーニュで行われた、世界最初の飛行大会で、グレン・カーチスがめざましい成績を示したことに対して、ライト兄弟は入賞すら出来なかったことで、知名度にも差をつけられたことにもあるといえます。
 そんな中、失意と法廷闘争の疲労もあり、兄ウィルバーは1912年、腸チフスで死去します。

 しかし、ライト兄弟が世界最初の有人動力飛行を行った事を高く評価する人も一部にはいました。協会に無私され続け、陽の目を見ることなくマサチューセッツ工科大学の倉庫に保管されていたライト・フライヤー号は、イギリス・ロンドンの科学博物館の希望を受け、海を渡ります。
 イギリス旅行に来たアメリカ人は「何故ライトフライヤー号がこんな場にあるのか?」と驚き、それはやがて世論となり、スミソニアン協会もいつまでも無視するわけにはいかなくなってきました。

WFinsmithonian.jpg  ウォルコットの死後、1928年に会長職を継いでいたチャールズ・アボットは弟オーヴィルと面談し、ライトフライヤー号をアメリカに戻すよう要請します。それに対する弟オーヴィルの条件はただ「歴史を正しく修正する」ことのみであったそうです。そして1942年ついにスミソニアン協会は声明を発表。ライト兄弟の偉業を認め、兄弟に陳謝しました。これを受け入れ、オーヴィルはライトフライヤー号をアメリカに戻すことに合意します。

その後、第2次世界大戦などの混乱もあり、ライトフライヤー号がアメリカに戻ってワシントン国立博物館に展示されたのは初飛行成功からちょうど45年経った1948年12月17日のことでした。盛大な展示除幕式が行われましたが、オーヴィルはすでに同年1月30日に76歳で死去していたため参加することはできなかったのです。

 人類初、世界初という名誉は歴史に残るものなので、欲や妬みなどが人間の負の側面がつきまとうのでしょうか。

 さて、このライト兄弟の名誉は実は日本人に与えられていたかもしれないという驚きの事実はご存知でしょうか。それは、
二宮 忠八という人の発明で、「玉虫型飛行器」と呼ばれるものでした。
 これは、日本のひとりよがりでもなんでもなく(何でも我が国が起源だと主張する某国ではありません)、1954年に英国王立航空協会が彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介し、模型を展示していることからもうかがい知ることができます。
 彼の不幸は、陸軍の理解が得られず、資金援助が出なかったこと。自分で会社を起こし資金を調達している最中にライト兄弟に先を越されてしまったことにあります。理論はOKでしたので、あとは実際の製作が間に合えば、世界初の名誉は日本に与えられた可能性が大きかったとのこと。うーんとても残念ですね。





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