【5月17日】近藤勇と墓マイラー
本日、5月17日は新撰組局長、近藤 勇の命日です。歴史上の人物や著名人の墓を巡って、故人の足跡に思いをはせる墓マイラーさんたちにとっては、本日はお墓参りに向かっているかもれませんね。
近藤 勇【生誕 天保5年10月9日(1834年11月9日)〜死没 慶応4年4月25日(1868年5月17日)】は知る人ぞ知る新撰組の局長です。
新撰組が現在のように有名になったのは司馬遼太郎の「燃えよ剣」や「新選組血風録」などの作品の貢献が大ですが、この新撰組のエピソードは多いので別の機会に紹介するとして、近藤勇のお墓を今回は紹介したいと思います。
鳥羽・伏見の戦いにおいて敗れた新選組ですが、江戸に戻って再編成し戦うものの、甲州勝沼の戦いで再び新政府軍に敗れて敗走します。近藤勇は名前を変えて、千葉県の流山市に駐屯中に新政府軍に捕まり、板橋宿まで連行、中仙道板橋宿近くの板橋刑場で斬首されてしまいます。
首は京都の三条河原で梟首され、その後の首の行方は不明とのことですが、このような事からお墓(当初は慰霊碑?)が各地にできることになります。
●近藤勇の処刑地近隣の墓
©2013 Google 画像撮影時期2010年1月
東京都北区滝野川7丁目8−10
甲州勝沼の戦い後、意見の対立で分かれた永倉新八により、建てられます。
最初は遺体をここに埋葬したらしのですが、その後遺族が遺体を三鷹へ持っていったので、ここにはありません。
近藤勇の慰霊碑がありますね。しかし、ここに永倉新八の墓があることから参拝者が多い場所です。
●土方歳三が仮埋葬した墓
Googleマップ panoramio © kikuchiyoさん撮影
福島県会津若松市東山町石山天寧208 天寧寺
このお寺の裏手の墓地に近藤勇の墓があります。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したといいます。
●遺族によって建てられた墓
Googleマップpicasa tetsuさん撮影
東京都三鷹市大沢6丁目3−11龍源寺
近藤勇の出身地で遺族が弔ったといわれております。ここには首のない遺体を弔ったといわれております。
●首を奪還し埋葬したといわれる墓
Googleマップ panoramio © 8pence さん撮影
愛知県岡崎市本宿町寺山1 法蔵寺
東京板橋の刑場で刑死した近藤勇の首は京都に運ばれ三条大橋の西に晒されました。
その後、同志が持ち去り、近藤が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼する事になりました。
しかし和尚はこの時にはここ法蔵寺に転任になっていたので、この地にて密かに埋葬したとのことです。
●従兄弟の近藤金太郎が首を持ち帰って埋葬したとされる墓
山形県米沢市鍛冶町4586高国寺
山形県米沢市の高国寺にも近藤勇の従兄弟近藤金太郎が首をひそかに持ち帰り埋葬したとされる墓がありますが、そうすると京都に運んだ首は偽物?ということになります。
真相はよくわかりませんが、こちらのサイトさまで、そこの考察をされて参考になります。
→やま喜幕末通信 近藤勇の首は米沢にあった(写真も掲載しています)
それ以外にも民間の団体が近藤勇を弔う為に「近藤勇忌」を流山市や会津若松市等で行っています。
このように各地で慰霊をされていることから人気のほどが伺えますね。
自分の住んでいる近くに出向いてみるのもよいかもしれません。
新撰組のグッズが豊富です。海外へのお土産に良いかも!!
<関連記事>
→【3月13日】新撰組、発足!
→【6月20日】土方歳三の最後
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