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【3月4日】木曾義仲と巴御前



木曾義仲

 寿永3年1月20日(1184年3月4日)の今日、旭将軍こと、
源義仲(木曾義仲)が粟津の松原にて義経率いる軍勢に討ち取られまました。(享年31歳) 司馬遼太郎から「日本初のアイドル」といわれてる源義経の大活躍の引き立て役と引き連れた軍勢の悪評ぶりで、良くない印象の義仲ですが、地元では巴御前と共に大人気。江戸時代でも武者絵などでも人気だったそうで。

 松尾芭蕉
が義仲のファンだったこともあり(自分が死んだら義仲の隣に埋葬してとの惚れっぷり)、更には、歴史書にも書かれるイケメンぶりで歴女の皆さんからも人気があります。

 中国の「火牛の計」のパクリ?ともいうべき
倶利伽羅峠の戦い(実際に火牛の計を使ったかはかなり怪しい)で平家に大勝利し、あっという間に頼朝を出し抜いて、都から平家を追い出し、朝日将軍旭将軍と称されてしまいます。

 しかし、都は飢饉と平氏の狼藉によって荒廃中。都の治安回復を期待されましたが、そこは寄せ集めの荒くれ集団ですから無理というもの。軍規なんてあって無きが如し。都の美女の美しさに完全に舞い上がった集団は都で暴虐の限りを尽くします。これでは平家よりもたちが悪い、更にはそのまま大軍が居座ったものですから食糧事情がもっと悪化していきます。
 そんなこともあり、更には
後白河法皇と皇位継承問題のトラブル事で、完全不和となったのを見た頼朝は、チャンスとばかりに義仲を追い出しに謀ります。こういう、味方をも亡ぼすところが賴朝人気がないところ。

 京都を落とし、平家打倒にあと一歩まで迫った義仲でしたが、世界史でも稀にみる戦の大天才、義経の手には敵いません。ここから先は坂道を転がるように転落していくことになります。

 宇治川の戦いで敗れ、粟津の戦いにて、ついに討ち死してしまいますが、この時に最後まで付き添い大活躍したのが妾の巴御前です。女性ながらに怪力の持ち主、豪腕にて強弓の女武者と言われ、敗れ落ち延びる義仲に従い、最後の7騎、5騎になっても討たれなかったといいますから凄いですね。(史実にはないので脚色は大いにアリですが) 最後は後世を弔うことが最後の奉公であると義仲に諭されて東へ向かい、行方知れずとなったとされています。義仲、かっこよすぎでしょう。

 さて、そんな義仲ですが、最後は自害の場所を求めて粟津の松原に踏み込んだところ、馬の脚が深田に取られて動けなくなり、そこを顔面に矢を射られて討ち死にしてしまいます。享年31歳の短い栄光でした。そして義仲を討ち取った義経も奇しくも同じく31歳にて賴朝に攻められて自害してしまいます。

 義仲、義経という二大青年武将を殺した賴朝が女性たちから評判が悪いものうなずけます。(奥さんの北条政子に最後まで頭が上がらなかったところが可愛いと擁護する声もありますが)
 松尾芭蕉が義経でなく、なぜ義仲に心惹かれたのか、自分の境遇と重ねて共感するところがあったのか。興味の尽きないところではありますね。





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