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【4月13日】カティンの森の悲劇



今回は、非常に重い話題ですが・・・。
 第二次世界大戦前夜のポーランドは、ドイツとソ連の強国に挟まれた形に位置していました。
 1939年8月、ナチス・ドイツとソビエト連邦が締結した独ソ不可侵条約の秘密条項によって、両国はポーランドに侵入し、国土はドイツとソビエトの2ヶ国に分割、占領下におかれます。

 ポーランドの亡命政府は、この時にソ連に占領された自国の25万人の軍人と民間人が消息不明であるとソ連に何度も問い合せを行います。
 しかし、満足の行く回答は得られず、そのまま第二次世界大戦の戦火が拡大していきます。

 1941年ドイツは不可侵条約を破り、ソ連に攻め込みます。
 そこで、対ドイツで利害が一致したポーランド政府とソ連は一致協力してドイツと戦うことになります。

 この時にソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになりました。
 しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかったです。

 残りの捕虜たちは一体どこへ消えてしまったのでしょうか。

 ポーランド、ソ連領へと占領下の土地を増やしつつあったドイツ軍は、スモレンスクという地で、大勢のポーランド人捕虜たちが列車で運ばれ、銃殺されたという地元の噂を聞きつけます。

 そして、カティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見したのです。大量の将校達の死体。全ての将校が頭部をピストルで撃ち抜かれており、そのままの姿で埋められていました。

 この発見を受け、ナチスドイツは、対ソ宣伝に利用するために、大々的な調査を指令したのです。
 人道的な意味ではなく、対ソ連戦で優位に立つためです。

 そして、1943年4月13日。ドイツのゲッベルス宣伝相はラジオ放送を通して、スモレンスク郊外のカチンの森でソ連当局によって1940年春から夏に殺害されたと思われる数千人のポーランド軍将校たちの遺体を発見したと世界に向けて発表したのです。


 ソ連側はこのドイツの発表に直ちに反論し、ナチスがこの大量処刑を行ったと主張しました。しかし、これまで何度も、捕虜の消息を問い合わせ続けていたポーランド政府は大いに疑問を抱く訳です。ドイツが攻めてくる前にすでに捕虜達は消えていたのではないかと。

 そこで、ポーランド政府はスイスの国際赤十字にこの事件の調査依頼をしたのですが、このポーランド政府の行動はソ連に対する敵対行為とみなされ、ソ連はポーランドとの国交を断絶するという強硬手段に出ました。

 1941年7月30日のポーランド=ソ連 協定で持ち直したポーランドとソ連の外交関係は、カティンの森事件によって再び破綻していきます。

 しかし、枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣され、カティンの森の調査が大々的に行われることになります。
 調査場所はドイツの占領地内ですが、ソ連軍が迫る緊迫した状況下で行われました。

 遺体はいずれも冬用の軍服を装着、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っており、遺体の状況は死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連軍の犯行を窺わせます。

 ソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされますが、撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体にものぼりました。

 では、なぜソ連は、ポーランドの将校たちを虐殺したのでしょうか?
 その理由は、ポーランドを共産化したかったという点にあります。


 ポーランドの将校達はイギリスが承認したロンドン亡命政権の軍人達でした。
 イギリスが承認した亡命政権の傘下にあるポーランドの将校達は共産化を目指すソ連にとっては、邪魔な存在だったのです。
 スムーズにポーランドを共産化したかったソ連にとっては虐殺して民主主義の種を潰す必要があったのです。

 カティンの森の虐殺事件の目的とは、ポーランド支配の邪魔になるポーランド軍や警察などの権力機関や抵抗運動の指導者となりそうな者たちを物理的に抹殺することにあったと言えるでしょう。

 戦後、ドイツの敗戦により、そのままソ連領内に引き込まれたポーランドは、共産主義国家となります。
 亡命したポーランド政府も戻ってくることはできませんでした。
 カティンの森の話は長い間タブーにされていたのです。

 しかし、ソ連の崩壊、東欧全体の民主化運動が始まり、ポーランドも1989年に民主国家になります。

 ソ連も徐々に公式文文書の公開など、事件の事実を認め始めてきます。

 1990年には
NKVDの犯行であることを示す機密文書が発見され、ミハイル・ゴルバチョフらはもはや従来の主張を継続することはできないと結論します。

 4月13日、タス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、ソ連政府は「スターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明したのです。

 犠牲者数は、同時期に他の収容所などで殺されたポーランド人と合わせて22,000人以上。
 職業軍人だけでなく、医師、大学教授、裁判官、新聞記者、司祭、小中学校教師など、国をリードする知識階層全体にもおよびました。

 2007年11月17日、ポーランド共和国下院は4月13日をカティンの森事件被害者追悼の日であると決議します。
 そして、2008年。ロシアのプーチン首相はポーランドのドナルド・トゥスク首相と会談し、事件が「スターリンの犯罪」であると言うことで一致しました。

 しかし,謝罪の弁は未だ得られてなく、責任を追及されたり、訴追されたものは一人も存在しないのも事実であり、事件は未だ終結していないと思います。

この事件について映画化されています。興味のある方は是非ご覧下さい。
DVDのレビューも力がこもっている力作レビューばかりです。






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