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【5月30日】ジャンヌと魔女裁判



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 1431年のこの日  百年戦争のフランス勝利の立役者「オルレアンの少女」こと、ジャンヌ・ダルク(1412年1月6日 - 1431年5月30日
が敵国イギリス軍により火刑にされます。

 イギリスとフランスは仲が悪いことで知られていますが、その遠因はこの百年戦争にあるのではないかとも言われています。1338年から1453年まで115年にわたって続いた百年戦争は、イギリスとフランスの大陸における領土争いの戦争で、フランスは人口が1/3になるまで荒廃し、亡国の危機にさらされました。

 この戦争は当初はイギリス軍が優勢で、フランスの領地も次々と奪われていくのですが、オルレアンに住んでいた一人の少女が「神のお告げ」を聞いたとして立ち上がります。当初は半信半疑のフランス軍でしたが、軍隊を動員し、この少女に指揮をさせます。この少女こそが、ジャンヌダルクで、初戦でイギリス軍の砦を襲ってこれを撃退したことにより、フランス軍は大いに志気を盛り返し、以後連戦連勝をすることになります。

 その後、トロワ、シャロンと勝利を続け、翌年、コンピエーニュで敵軍につかまるまで、ジャンヌ・ダルクの活躍によりフランスは国土の大半を取り戻したのです。
 百年戦争自体はこのジャンヌ・ダルクの1年にわたる大活躍でフランスの勝利がほとんど確定、その後状況が変わることはなく、ジャンヌ死刑の22年後の1453年には和平が成立、百年戦争は終わりを告げることになります。

 彼女が敵軍につかまったのは1430年5月23日。コンビエーニェでした。彼女を捕らえ たのはフランスのブルゴーニュ軍ですが(当時はフランスは、ブルゴーニュ派とアルマニャック派に分かれて内戦状態にあった)、ブルゴーニュ軍は彼女を1万フランでイギリス軍に売り渡してしまいます。
 ジャンヌの活躍で王になれたシャルル7世ですが、ブルゴーニュ派と和解したい思惑に逆らって戦いを続けるジャンヌを助けることをしませんでした。シャルル7世としては、自分の命令を無視してブルゴーニュ派との戦いを続けたジャンヌをそうまでして助けるつもりはなかったようです。一時は身代金を払えばジャンヌを助けられたにも拘わらずです。色々事情はありそうなのですが、やっぱり評判悪い人です。

 イギリスにとっては憎き相手ですので、なんとしても死刑にしたいところ。当時、猛威を振るっていた、
魔女狩り、魔女裁判で異端教徒に仕立てようとします。
 ここからからのくだりは、ドロドロとした人間の嫌な面を見せられます。

詳しくはこちらのサイトさまで記載されていますのでどうぞ。内容的にはショッキングなものは含まれておりますので閲覧はご注意ください。

→ジャンヌ・ダルクの火刑

 監禁は1年も続き、ジャンヌは、とうとう自分の誤りを認める書類にサインして裁判は終了しますが、どうしても死刑にしたいイギリスの手によって難癖をつけられて、30日、ついに火刑に処せられてしまいました。遺体はジャンヌを聖女として信じる人の手に渡ることを恐れ、河に投げ捨ててしまいます。

 それからブルゴーニュ派との和平が成立し、イギリス軍に対して圧倒的な有利な状況になると、シャルル7世は、ジャンヌの復権を指示します。ジャンヌが刑死してから20年ですからかなり遅いです。
 1450年2月15日、シャルル7世の命令でジャンヌの裁判の調査が行われます。調査の結果、ローマ教皇は裁判のやり直しを命じ、復権裁判が行われます。
 かつてジャンヌと共に戦ったデュノワ伯ジャンや、オルレアンの市民たちを含めた115名の証人が呼ばれ、1456年7月7日、ジャンヌが火刑にされた地であるルーアンにて、処刑裁判の破棄が宣告されたのです。
 それからはジャンヌの名は地元以外では長らく忘れられていましたが、ナポレオンによりフランス全土に有名になり、その後、1920年5月16日にベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となりました。

 二度の世界大戦の狭間の時期で聖ジャンヌダルクはフランス愛国主義の象徴にもなりました。しかし、そんな扱いをジャンヌは望んだのでしょうか。ジャンヌが願い、戦って示したものはもっと大事なものだったのかもしれません。

 魔女狩りといい、この中世の時代の人々の不安や恐れが原因かとは思いますが、人間としてここまで残虐になれるのかという負の側面を学ばされる象徴的な事件であったと思います。


賛否両論分かれる映画でした。

中身検索ができます。鬱になる・・。


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